「自分仕置令」の版間の差分

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また、当時の諸藩から幕府への問い合わせの記録を見ると、自領の犯罪を犯した者を追跡して他領に入り込んでしまった場合や偶然他領内にて犯人に遭遇・確認した場合にはそのまま逮捕することは認められていたが、その際には事後でも現地の領主にその旨を連絡して、その後に自領に連行することになっていた。ただし、これは緊急性を要すると認められた場合に限定され、天領から大名領に犯人が逃亡した場合でも適用された<ref>安竹貴彦「十八世紀前半における紀州藩の広域捜査」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P99-101.</ref>。
 
しかし、元来自分仕置の範疇はそれぞれの藩の家格に準じるという慣習法があり、幕府の自分仕置令の公布もこうした慣習の打破の一環にあったにも関わらず、実際には自分仕置に相当する重罪人の処分に対して幕府に伺いを立てる小藩や逆に自分仕置の対象でない罪人まで勝手に処分を行う大藩などが存在し続けた。また、幕府に届け出る手間を省くために「他領他支配引合」の場合に対象となる相手の所属する藩・領主と交渉を行って自分仕置を行う許可を得る事が行われ、幕府の訴訟業務の増大を危惧する幕府もこれを黙認した。また、幕府の法令に準じると言っても、形だけに留まり実際には幕府が認めないような残虐な刑が課されたりする藩も存在した。更に一部の藩では[[長吏 (賎民)|長吏]]などの非人役人を藩外に派遣して遠隔捜査を行い、現地の非人役人と連携して捜索・逮捕を行うことも行われた(勿論、現地の非人役人を統括する奉行などは事情を承知していたが、表沙汰になって「他領他支配引合」に発展するのを回避するために、最低限の連絡は取り合ったものの、あくまで非人役人の独自裁量という体裁を取った)<ref>安竹貴彦「十八世紀前半における紀州藩の広域捜査」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P101-114.</ref>。もっとも19世紀に入ると、幕府が非人役人の警察権を制約する方針を打ち出したことでこうした捜査も抑制されることになった<ref>安竹貴彦「十八世紀前半における紀州藩の広域捜査」藩法研究会 編『幕藩法の諸相-規範・訴訟・家族-』(汲古書院、2019年) ISBN 978-4-7629-4230-3 P114-118.</ref>。
 
== 脚注 ==