「世界四大文明」の版間の差分

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'''世界四大文明'''(せかいよんだいぶんめい)は、[[歴史]]観・[[文明]]観の一つ。[[人類史]]上で最初に起きた文明は、[[メソポタミア|メソポタミア文明]]・[[エジプト文明]]・[[インダス文明]]・[[黄河文明]]の4つであり、以降の文明はこの4つの流れをくむ、とする[[仮説]]的な考え方をさす。「[[四大河文明]]」とも言われる。
 
[[定説学術]]的・[[学術定説]]的な用語というわけではなく、提唱者すら不明な、通俗的・慣習的な用語である{{Sfn|川尻|2010|p=154f}}。国際的な用語ですらなく、[[20世紀]]以降の[[日本]]や[[中国]]でのみ用いられる{{Sfn|川尻|2010|p=154f}}<ref>{{コトバンク|2=小学館 デジタル大辞泉}}</ref>。
 
国際的には、「四大文明」ではなく「'''文明のゆりかご'''」({{Lang|en|Cradle of civilization}})という。「文明のゆりかご」は、[[肥沃な三日月地帯]]を念頭に起きつつ、[[長江文明]]・[[メソアメリカ|メソアメリカ文明]]・[[アンデス文明]]なども含み、明確な数も決まっていない。
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概念である」「杉山正明・京大教授より,かつて江上波夫先生と面談した時に直接御本人からそのことを伺った,と教えられた。」とある</ref>。
 
また一説によれば、[[中国]][[清朝]]末期の知識人で革命家[[梁啓超]]に由来するとされる{{Sfn|川尻|2010|p=154f}}。具体的には、梁啓超が[[1900年]]に作った[[詩]]『二十世紀太平洋歌』([[:zh:二十世紀太平洋歌]])<ref>[{{NDLDC|899081/454}} 壬寅新民叢報彙編・881頁所収(近代デジタルライブラリー)]</ref>の中にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている{{Sfn|川尻|2010|p=154f}}。ただしあくまで、「四大文明」という語句を用いているわけではない{{Sfn|川尻|2010|p=154f}}。この詩が作られた背景として、梁啓超は[[戊戌の変法]]が失敗した後日本に亡命しており、[[1899年]]末にハワイの同志に会うために[[太平洋]]を横断した際詩を詠んだ。この詩で、梁啓超は世界史の三つの大きな区分を呈示している。第一は大河の周辺に四大文明が出現した「河流文明時代」、第二が[[地中海]]や[[紅海]]や[[黄海]]などの[[内海]]周辺に文明が広がった「内海文明時代」、そして今は[[大航海時代]]以降の「大洋文明時代」であるという。
 
なお、そのような梁啓超の文明論も含めて、20世紀初頭の中国人知識人たちが論じた文明論は、[[福澤諭吉]]・[[浮田和民]]・[[茅原華山]]ら日本人の文明論の影響を受けていた{{Sfn|石川|2019|p=抄録}}{{Sfn|川尻|2010|p=154f}}。あるいは彼ら日本人を経由して、西洋の文明論の影響も受けていた{{Sfn|石川|2019|p=抄録}}。