「柏飛行場」の版間の差分

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==その他==
柏飛行場がB-29の爆撃を直接受けたことはなかったが、終戦までに周辺地域へ2機のB-29が墜落した。[[1945年]](昭和20年)3月10日の[[東京大空襲]]を終えて帰還中だったB-29のうち、編隊最後尾を飛んでいた1機が対空砲火で損傷(飛行場防護のため隣接地の田中村若柴に配置されていた高射砲によるものとの説がある)空中分解し、飛行場から北西約4km4 kmに位置する[[福田村 (千葉県)|福田村]]現・後の[[野田市]])下三ヶ尾の駒形神社付近の畑へ墜落、搭乗員10名が死亡した。
 
墜落直前に2名が脱出し、飛行場付近へ落下傘降下した様子を目撃した近隣住民が通報、警防団も協力して捜索が始められ、うち1名は降下した田中村正連寺付近で拘束された。飛行場北端へ降下した別の1名は払暁後、田中村十余二と大青田の字境付近に位置する林の中で缶詰の携帯食を食べていたところを警防団員と第3飛行場大隊の隊員らが発見し拘束<ref name="niodori6">長沼映夫「B29の墜落」『流山研究・におどり』第6号 流山市立博物館友の会編著 崙書房出版 1987年</ref>、いずれも東京憲兵隊市川分隊柏分遣隊へ身柄が引き渡された。その後、正連寺に降下した1名は重傷を負っており瀕死状態だったため薬殺<ref>Report of Investigation Division, Legal Section, GHQ/SCAP, No. 110.</ref>、飛行場に降下した1名は東京陸軍刑務所に収容されていたが、5月25日深夜から26日未明にかけての東京空襲で[[東京陸軍刑務所飛行士焼死事件|焼死]]した<ref>Report of Investigation Division, Legal Section, GHQ/SCAP, No. 255, 351.</ref>。
 
この5月25日の空襲の際は、東京方面から北東に向かって飛行していたB-29がエンジンから火を噴いて操縦不能に陥り(日本軍機の邀撃によるものとの説がある)、東葛地域上空で数kmの範囲を旋回したのち、飛行場から西方約2km2 km[[新川村 (千葉県)|新川村]]桐ケ谷新田(現・後の流山市[[西初石]])付近で松の木々を200m200 mにわたってなぎ倒しながら墜落、機体は爆発炎上し11名の搭乗員全員が死亡している。搭乗員の遺体は簡素に埋葬されていたが、終戦後、墜落したB-29搭乗員の取扱いに関して一般住民も含め[[BC級戦犯]]として訴追されるケースがあったことから、改めて掘り返して遺骨を丁重に埋葬し、調査に来た占領軍がこれを回収した<ref name="niodori6"/>。
 
== 脚注 ==