「世界金融危機 (2007年-2010年)」の版間の差分

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各国は従来の枠組みを越えて協調した。[[G20]]では、それまで[[財務大臣・中央銀行総裁会議|財務相・中央銀行総裁会議]]を開催していたが、さらに首脳陣の会合として2008年11月にG20サミットが始まった。中央銀行ではアメリカの[[連邦準備制度]](FRB)を中心として[[通貨スワップ協定]]が拡充された。[[国際通貨基金]](IMF)は2008年から求めに応じて支援を行い、さらに融資拡充をした。それまでの金融規制に限界があることが明らかになり、[[バーゼル銀行監督委員会]]では銀行の国際業務の規制が進められた{{Sfn|柴田|2011|p=9}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=583-584}}<ref>Łukasz Mamica, Pasquale Tridico, ''Economic Policy and the Financial Crisis'', Routledge, 2014, [https://books.google.co.jp/books?id=ITYsAwAAQBAJ&pg=PA6&dq=international+liquidity+crunch+and+having+been+transformed+into+a+crisis+of+the+'shadow+banking'+industry,+has+revealed+the&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjglZbJzf_bAhWGopQKHY6MBLoQ6AEIJzAA#v=onepage&q=international%20liquidity%20crunch%20and%20having%20been%20transformed%20into%20a%20crisis%20of%20the%20'shadow%20banking'%20industry%2C%20has%20revealed%20the&f=false p.6.]</ref><ref name=nesvet>Anastasia Nesvetailova, [http://www.academia.edu/20185290/Liquidity_in_Light_of_the_Shadow_Banking_System_Lessons_from_the_Two_Crises 'Liquidity' in Light of the Shadow Banking System: Lessons from the Two Crises], in ''Economic Policy and the Financial Crisis’’Crisis''</ref>。危機の原因として会計監査制度も批判を受け、会計基準や監査基準も変更された{{Sfn|森|2019|pp=63-68}}{{Sfn|小松|2019|pp=32-34}}。当時は「{{仮リンク|大き過ぎて潰せない|en|Too big to fail}}」という言葉が象徴するように大手金融機関の救済が優先されており、住宅ローンの債務者の救済が不十分だった{{Sfn|ミアン, サフィ|2015|pp=3409-3417/4780}}。
 
; 影響
[[File:GDP Real Growth in 2009.svg|thumb|upright=1.7|tmub|300px|2009年の実質GDP成長率。茶色は景気後退の地域を表す。]]
危機への対策によって2009年にはアメリカでは景気回復が起きたが、経済格差が拡大した。ヨーロッパでは金融危機後に銀行の資本増強が進まなかったため、2010年に国債がもとで[[ユーロ危機]]が起きた。金融危機対策やIMF支援の条件として緊縮財政を進めた各国では、国内で経済的困窮や社会不安を招いた。世界各地で抗議活動が起き、政権交代や国際機関からの離脱、地域紛争の発端にもなった。「[[ウォール街を占拠せよ]]」と呼ばれた抗議デモは、同様の活動が900以上の都市で開催された。イギリスでは国民投票によって[[イギリスの欧州連合離脱|欧州連合離脱]]が決定した。ウクライナとロシアの間では[[クリミア危機・ウクライナ東部紛争]]が起きた{{Sfn|パッカー|2014|pp=564-573, 586-591}}{{Sfn|トゥーズ|2020|pp=583-584}}。