「改造社」の版間の差分

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当時京都一中の中学生だった[[湯川秀樹]]は、この時のアインシュタインの講演を聞いて物理学へ進んだ。
 
[[1926年]](大正15年)からは1冊1円の全集本『現代日本文学全集』(全63巻)の刊行を開始、昭和初年の出版界に「[[円本]]ブーム」を引き起こした。[[岩波書店]]の[[岩波文庫]](1927年創刊)に対抗し、[[1929年]]([[昭和]]4年)から[[文庫本]]「[[改造文庫]]」を発行した。『マルクス・エンゲルス全集』(最終的に全27巻(30冊(7-2、7-3、16-2があるため)、別巻1、補巻1)を刊行し、岩波書店などの五社連盟版と競合する事になったが、実際に刊行できたのは改造社版だけであった。[[1944年]](昭和19年)に軍部の圧力により解散させられた[http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/publication/yamamotosanehiko.html]。1944年7月10日、情報局は、中央公論社と改造社に自発的廃業を指示し、両社は月末に解散した
 
第二次世界大戦後に改造社は再建され、雑誌『改造』も復刊したが、「改造文庫」は復興しなかった。ただし、改造文庫として出版していた書目を中心にB6型の「改造選書」を刊行していた。創業者・経営者の山本実彦は政治家としても活動したが、1952年に死去。[[1955年]]、労働争議から雑誌『改造』を休刊することとなった。1955年1月22日編集局全員を解雇し、1月22日青野季吉・丹羽文雄らが「改造不執筆同盟」を結成し、2月18日「改造を守る会」に発展し、解決に努力したが、『改造』は2月号で廃刊された。[[山本七平]]によると、“アメリカ式経営”の導入を標榜する若社長がそれを強行し、社内を大混乱に陥らせたのが出版社として衰退した大きな理由の一つだという。
 
現在では改造社書店、改造図書出版販売株式会社として、銀座5丁目の本社ビル1階をはじめ[[関東地方]]と[[中部地方]]の複数店舗で書籍の販売業などを営んでおり、書籍の編集、出版は行っていない。
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