「ガイウス・ドゥイリウス」の版間の差分

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{{基礎情報 貴族(西洋)
{{Infobox 共和政ローマ
|各国語表記={{Lang|la|Gaius Duilius}}
|人名=ガイウス・ドゥイリウス<br>C. Duilius M.f. M.n.
|出生=不明
|死没=不明
}}
 
'''ガイウス・ドゥイリウス'''({{lang-la|Gaius Duilius (C. Duilius M.f. M.n.)}}, [[紀元前3世紀]]、生没年不詳)は、[[第一次ポエニ戦争]]の時期に登場した[[共和政ローマ]]の政治家。後に[[ノウス・ホモ]]と呼ばれる者たちの先駆者でもある。
 
==経歴==
詳しい家系などは分かっていないので、当時ローマ社会に台頭しつつあった新興階級であったと考えられている。このような古来からの社会的なつながりのない家系にもかかわらず、[[カルタゴ]]との軋轢がもとで[[第一次ポエニ戦争]]となると[[コンスル|執政官(コンスル)]]に当選する。同僚コンスルの[[グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ]]とともに軍を統率する立場ではあったが、後続部隊を率いており、あまり活躍は期待されてはいなかった。しかし操船に不馴れなローマ軍は、緒戦の[[リーパリ諸島の海戦]]で同僚のスキピオ・アシナが捕虜となったため、ドゥイリウスが総司令官となってしまい、その後カルタゴ司令官[[ハンニバル・ギスコ]]率いる残存勢力と遭遇する。そして[[ミラエ沖の海戦]]で大勝利を収める。これはローマ軍の新兵器「[[コルウス]]」(カラス)を功を奏した結果であった。ドゥイリウスはこの戦いで多くの敵船を拿捕、その中には敵将ギスコの乗る旗艦も含まれていた。この戦いはローマ軍が海戦で初めて勝利を収めた戦いであった。
 
この勝利にドゥイリウスは[[凱旋式]]を行う栄誉を得て、[[紀元前258年]]には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]ととも[[ケンソル|監察官([[ケンソル]]を務めた。
 
==彼の名を冠した軍艦==
[[19世紀]]以降、近代[[イタリア]]ではドゥイリウスの[[イタリア語]]表記である「カイオ・ドゥイリオ ''({{Lang-it|Caio Duilio''}})」と名付けられた[[軍艦]]が4隻建造されている。
*[[カイオ・ドゥイリオ (戦艦・初代)]]:[[カイオ・ドゥイリオ級戦艦 (初代)]]のネームシップ。
*[[カイオ・ドゥイリオ (戦艦)]]:[[カイオ・ドゥイリオ級戦艦]]のネームシップ。
*[[共和政ローマ執政官一覧]]
*[[共和政ローマ監察官一覧]]
*[[第一次ポエニ戦争]]
 
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| after = [[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]、<br/>[[ガイウス・アクィッリウス・フロルス]]
}}
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{{Normdaten}}
 
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[[Category:紀元前3世紀の古代ローマ人]]