「グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ」の版間の差分

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{{基礎情報 貴族(西洋)
{{Infobox 共和政ローマ
|各国語表記={{Lang|la|Gnaeus Cornelius Scipio Asina}}
|人名=グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ<br>Cn. Cornelius L.f. Cn.n. Scipio Asinas
|出生=不明
|死没出生=不
|死没=不詳
|出身階級=[[パトリキ]]
|家名=[[スキピオ家]]
|氏族名=[[コルネリウス氏族]]
|官職=[[執政官]]<span style="font-size: smaller">(紀元前260年)</span>
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}}
 
'''グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ'''('''{{lang-la|Gnaeus Cornelius Scipio Asina (Cn. Cornelius L.f. Cn.n. Scipio Asinas)}}''', [[紀元前3世紀]]、生没年不詳)は、[[第一次ポエニ戦争]]期の[[紀元前3世紀]][[共和政ローマ]]の政治家・軍人。「アシナ」とは[[ラテン語]]で[[ロバ]]を意味する。
 
==経歴==
 
ローマ筆頭の名門のひとつ[[コルネリウス氏族]]の[[スキピオ家]]に生まれる。父は[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス]]、兄弟には[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ]]がいる。
 
[[ガイウス・ドゥイリウス]]と共に[[紀元前260年]]の[[コンスル|執政官(コンスル)]]に当選、新設の[[ローマ海軍]]を率いる。そして[[メッシーナ海峡]]を巡回している際に[[リーパリ]]がローマ側に寝返るとの情報を得る。戦略上重要な拠点を占拠して勝利を栄誉を得ようと焦り、リーパリに急行するが、これは敵将[[ハンニバル・ギスコ|ギスコ]]の謀略で、港に乗り上げた際に海上を封鎖されてしまう。海戦に不馴れなローマ兵はパニックに陥り、自分達が乗っている船に構わず陸地に逃れてしまい、大した戦闘もなく易々とスキピオは捕虜となってしまった。そしてスキピオはローマ史上最初に海戦にて([[リーパリ諸島の海戦]])で敗北した人物となった。
 
この失敗により、後年スキピオは政敵から「ロバ」という意味の「アシナ」という呼び名で呼ばれるようになった。しかし[[254年]]に再びコンスルに[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]とともに当選している。両者共に二度目の執政官就任であった。ローマ艦隊は前年にアフリカから引き上げる際に嵐に遭遇して壊滅してしまっていたため、二人の執政官は合計で220隻からなる艦隊を再建した。両者共にシケリアに向かい、パノルムス(現在の[[パレルモ]])を占領することに成功した。ローマ帰国後はスキピオ・アシナのみが凱旋式を実施している(おそらくは、カラティヌスは既に紀元前257年に凱旋式を行っていたためと考えられる)。
 
==家族==
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==関連項目==
* [[第一次ポエニ戦争]]
*[[リーパリ諸島の海戦]]
* [[共和政ローマ執政官一覧]]
*[[凱旋式のファスティ]]
 
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| after = [[グナエウス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前253年の執政官)|グナエウス・セルウィリウス・カエピオ]]、<br/>[[ガイウス・センプロニウス・ブラエスス]]
}}
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{{Normdaten}}
 
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[[Category:紀元前3世紀の古代ローマ人]]