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{{See also|龐煖}}
鶡冠子の人物像については、[[楚 (春秋)|楚]]の[[隠者]]であること、および[[龐煖]]の師匠であること程度しか伝わっていない{{Sfn|大形|1983|p=11}}。具体的には、『[[太平御覧]]』や『[[元和姓纂]]』が引用する所の、[[劉向]][[劉歆]]父子の『[[七略]]』、『[[列仙伝]]』、[[応劭]]の『[[風俗通義|風俗通]]』、[[嵆康]]の『高士伝』などにその人物像が伝えられる{{Sfn|大形|1983|p=11}}。
 
鶡冠子という名前は、「鶡冠」、すなわち「鶡」という[[鳥]]([[キジ科|キジ]]の一種[[ヤマドリ]]<ref name=":1" />、または[[ミミキジ]]{{Sfn|Kroll|2017|p=158}}と[[同定]]される)の[[羽毛|羽]]で作られた[[冠]]をかぶったことにちなむ。
 
古代中国の[[習俗]]では、鶡は勇猛な鳥とみなされたため、鶡冠は勇猛な[[武官]]がかぶるものとされた{{Sfn|大形|1983|p=11}}{{Sfn|Knechtges|1993|p=137}}。[[漢代]]以降の[[レリーフ]]にも鶡冠をかぶった武官が描かれている<ref>{{Cite journal|和書|author=石渡美江|year=2019|title=鳥頭冠と鳥翼冠|url=http://doi.org/10.24517/00057238|journal=ヘレニズム~イスラーム考古学研究|volume=|page=44}}</ref>。『[[後漢書]]』輿服志によれば、そのような習俗は[[趙 (戦国)|趙]]の[[武霊王]]に由来するとされる{{Sfn|Defoort|1997|p=16}}<ref>{{Wikisourcelang-inline|zh|後漢書/卷120}}</ref>。武霊王は『鶡冠子』にも登場する。
 
しかしながら、そのような鶡冠をなぜ隠者の鶡冠子がかぶっていたかに関しては、判然としない{{Sfn|大形|1983|p=13}}。