「イタリア領東アフリカ」の版間の差分

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== 第二次世界大戦以後 ==
約4年後の[[1940年]][[6月10日]]にイタリアが[[第二次世界大戦]]に参戦すると、周囲のイギリス植民地との戦いが始まる。一時はケニアやスーダンにイタリア軍の攻勢が行われ、1940年8月には[[イギリス領ソマリランド]]を[[占領]]した。1941年初頭よりイギリス軍の反撃が開始され、イタリア軍は劣勢となり、[[1941年]][[5月5日]]にはハイレ・セラシエ1世が[[首都]]に再入城。[[1941年]][[11月28日]]にはエチオピア内の全イタリア軍が[[降伏]]した。[[1943年]]には、連合国へのイタリアの降伏に伴い、既に名目上の[[皇帝]]となっていたヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が[[退位]]した。
 
敗北したイタリア軍のうち7000人は、北アフリカの枢軸軍が進撃してくることを当てにして[[1943年]]9月まで[[ゲリラ戦]]を展開した。
 
エチオピアは再度[[エチオピア帝国]]として独立、いったんイギリスの影響下で自治体制にあったエリトリアを[[1952年]]に連邦国家として組み込み、[[1962年]]から[[1993年]]までエチオピアの一州とした。イタリア領ソマリランドは連合国の占領を経て、[[1950年]]から[[1960年]]まで[[イタリア信託統治領ソマリア]]として[[信託統治]]下にあったが、[[1960年]]に[[イギリス領ソマリランド]]とほぼ同時に独立、統一国家となった。
 
エチオピアは再度[[エチオピア帝国]]として[[独立]]、いったんイギリスの影響下で自治体制にあったエリトリアを[[1952年]]に[[連邦国家]]として組み込み、[[1962年]]から[[1993年]]までエチオピアの一州とした。イタリア領ソマリランドは連合国の占領を経て、[[1950年]]から[[1960年]]まで[[イタリア信託統治領ソマリア]]として[[信託統治]]下にあったが、[[1960年]]に[[イギリス領ソマリランド]]とほぼ同時に独立、[[統一国家]]となった。
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[[Category:東アフリカ史]]