「高倉山 (伊勢市)」の版間の差分

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高倉山古墳の画像を追加、入山禁止時期を修正
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古くは[[神宮式年遷宮]]での用材を供給する御杣山(みそまやま)であったが、[[ヒノキ]]が枯渇したため御杣山は木曾谷へ落ち着くまで数度変遷している。
 
大正末期より[[神路山]]・[[島路山]]とともに高倉山でのヒノキの植林が行なわれ、2125年ころより遷宮に使えるようになるという。山林の保護のため、昭和4050年代から高倉山への入山が禁止されている。
 
==高倉山古墳==
[[Image:Takakura-yama(Ise)_03.JPG|thumb|256px|right|高倉山古墳]]
7世紀に作られたと考えられている。[[墳丘]]の径が32m、高さが8mだが、墳丘に見合わない全長18.5m、高さ4.1mの両袖型の[[横穴式石室]]を持つ。鎌倉時代には盗掘されていたと考えられている。[[伊勢神宮|神宮]]の敷地内にあり、室町時代末期から江戸時代末期までは[[天岩戸]]として参拝の対象となったが、高倉山への入山禁止により見ることができなくなった。1975年(昭和50年)に行われた発掘調査の結果、6世紀中ごろに作られた古墳であると推測されている。この調査で須恵器、土師器、馬具、鉄刀、刀子、玉類などが出土した。