「乙骨淑子」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[東京都]]出身。私立桜蔭高女(現:[[桜蔭中学校・高等学校]])卒業。[[1954年]]に[[柴田道子]]らと[[同人誌]]「こだま」を創刊して以来、創作活動に専念。代表作の一つである『十三歳の夏』は清冽な文章で少女の心情を描いた作品である。十三歳の理恵は、父が家を出て以来、祖母と同居をしていたが、その祖母も他界。親戚のおばさんに引き取られたが、おばさんは冷たい態度で理恵に接する。理恵は父の住む家へ向かうと父と同居しているおばさんに会い「私、ここの家の子になりに来たんです」と告げるところから物語は始まる。多くの友人、すれ違った人との出会いを軸に小説は展開する。本作品は[[少年ドラマシリーズ]]でテレビドラマ化された。清冽な文章後、フジテレビ少女の心情を描いた作品も[[森光子]]主演ある再びドラマ化された
 
長編文学『ピラミッド帽子よ、さようなら』<ref>同じく児童文学に分類される『ピラミッド帽子のひみつ』(著・V.P.クラピーヴィン、訳・中込光子、大日本図書、1989年刊行、ISBN 4-477-17684-8)とは異なる。</ref>を未完のまま、癌のため1980年8月13日に51歳で逝去。遺作となった「ピラミッド帽子よ、さようなら」は版元である[[理論社]]の社長・編集者であり作家の[[小宮山量平]]によってエンディングが補完され出版された<ref>『乙骨淑子の本 8』および復刻版には小宮山による補筆部分は収録されず、未完の作品として扱われている。</ref>。
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* 合言葉は手ぶくろの片っぽ [[岩波書店]] 1978 のち岩波少年文庫 1996
* 十三歳の夏 [[あかね書房]] 1974
* ピラミッド帽子よ、さようなら 理論社 1981 のち復刻版2010、ソフトカバー版2017(復刻版解説:[[最首悟]]、ソフトカバー版解説:[[新海誠]]。この復刻版はかつて理論社版に小宮山量平氏によって補完された部分は収録されておらず、完全に中絶した部分で小説は終わる
* すなの中に消えたタンネさん([[学校図書]]小学校国語教科書に掲載)
**『読んでおきたい4年生の読みもの』学校図書 1997 に収録