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[[嘉承]]元年([[1106年]])7月1日に[[河内源氏]]の棟梁[[源義家]]が没すると、河内源氏の棟梁は義家の三男義忠が継いだ。それから3年後の天仁2年(1109年)2月3日夜、義忠は何者かに斬りつけられ、2日後に死亡してしまった。
犯人は[[美濃源氏]]の[[源重実]]とされ[[左大臣]][[源俊房]]の邸内で[[検非違使]]によって逮捕されたが無実である
義綱はこれに怒った。嫡男[[源義弘|義弘]]をはじめとする5人の息子達もこれに怒り、抗議の意を込めて父子そろって義綱の弟[[源義光]]の所領である[[近江国]][[甲賀郡]]の甲賀山(鹿深山)へ立て籠もるという行動をとった。その際、義明は病の為に皆と行動を共にせず、藤原季方の館に籠った。
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