「ラパッロ条約 (1920年)」の版間の差分

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{{条約
|題名 =ラパッロ条約(1920年)
[[File:Litorale 1.png|thumb|right|国境の変遷(1913年 - 1954年)。黄緑色、青緑色、黄色で示された範囲がラパッロ条約でイタリア領と認められた地域である]]
[[ファイル:Zara-Zadar-1920-1947.png|thumb|right|イタリア領ザーラの地図]]
|通称 =
'''ラパッロ条約'''(ラパッロじょうやく、{{lang-it|Trattato di Rapallo}})、または'''ラパロ条約'''(ラパロじょうやく)<ref name="Kotobank">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/ラパロ条約|title=ラパロ条約|publisher=[[コトバンク]]|author=日本大百科全書|accessdate=2018年12月23日|ref={{SfnRef|kotobank-ラパロ条約}}}}</ref>は、[[1920年]][[11月12日]]<ref name="Hehn">[https://books.google.com/books?id=nOALhEZkYDkC&pg=PA45&dq=%22signed+a+treaty+on+November+12,+1920,+at+Rapallo&lr=&sig=ACfU3U1d_etPPJL-3k8nsYws4mfuun44sQ A Low Dishonest Decade by Paul N. Hehn; Chapter 2, Italy the Powers and Eastern Europe, 1918-1939. Mussolini, Prisoner of the Mediterranean]</ref>、[[イタリア王国]]とセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後の[[ユーゴスラビア|ユーゴスラヴィア]]、以下ユーゴスラヴィア)との間で[[イタリア]]・[[ジェノヴァ]]近郊の[[ラパッロ]]で調印された条約。イタリア代表は[[ジョヴァンニ・ジョリッティ|ジョリッティ]]首相、ユーゴスラヴィア代表はヴェスニッチ首相。
|起草 =
|署名 =[[1920年]][[11月12日]]
|署名場所 =[[イタリア]]・[[ジェノヴァ]]近郊の[[ラパッロ]]
|捺印 =
|効力発生 =
|現況 =
|失効 =
|締約国 =[[イタリア王国]]とセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後の[[ユーゴスラビア|ユーゴスラヴィア]]、以下ユーゴスラヴィア)
|当事国 =
|寄託者 =
|文献情報 =
|言語 =
|内容 =
|関連 =
|ウィキソース =
|リンク =
}}
'''ラパッロ条約'''(ラパッロじょうやく、{{lang-it|Trattato di Rapallo}})、または'''ラパロ条約'''(ラパロじょうやく)<ref name="Kotobank">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/ラパロ条約|title=ラパロ条約|publisher=[[コトバンク]]|author=日本大百科全書|accessdate=2018年12月23日|ref={{SfnRef|kotobank-ラパロ条約}}}}</ref>は、[[1920年]][[11月12日]]<ref name="Hehn">[https://books.google.com/books?id=nOALhEZkYDkC&pg=PA45&dq=%22signed+a+treaty+on+November+12,+1920,+at+Rapallo&lr=&sig=ACfU3U1d_etPPJL-3k8nsYws4mfuun44sQ A Low Dishonest Decade by Paul N. Hehn; Chapter 2, Italy the Powers and Eastern Europe, 1918-1939. Mussolini, Prisoner of the Mediterranean]</ref>、[[イタリア王国]]とセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後の[[ユーゴスラビア|ユーゴスラヴィア]]、以下ユーゴスラヴィア)との間で[[イタリア]]・[[ジェノヴァ]]近郊の[[ラパッロ]]で調印された条約。イタリア代表は[[ジョヴァンニ・ジョリッティ|ジョリッティ]]首相、ユーゴスラヴィア代表はヴェスニッチ首相
 
イタリア代表は[[ジョヴァンニ・ジョリッティ|ジョリッティ]]首相、ユーゴスラヴィア代表はヴェスニッチ首相。
==概要==
条約によれば、イタリアは[[イストリア半島|イストリア]]をはじめザーラ/[[ザダル]](Zara/Zadar)とケルソ島(Cherso、現在の[[ツレス島]])、ルッシーノ島(Lussino、現在の[[ロシニ島]])、ラゴスタ島(Lagosta、現在の[[ラストヴォ島]])、ペラゴーザ島(Pelagosa、現在の[[パラグルジャ島]])などの島々を保有し、フィウーメ(現在の[[リエカ]])は{{仮リンク|フィウーメ自由国|en|Free State of Fiume}}になるはずだったが<ref>[https://books.google.com/books?id=5Cfuax6XHF0C&pg=PA177&dq=%22the+consequence+of+the+elections&sig=ACfU3U0WUaRxCzXxkCBtY6KE2EkqPudtPQ Foreign Policies of the Great Powers by Cedric James Lowe, Routledge, Taylor & Francis Group, F. Marzari, p.177-78]</ref>、[[1924年]][[1月27日]]に両国が[[ローマ条約 (1924年)|ローマ条約]]で確認した際にはフィウーメはイタリア領とされ<ref name="Kotobank" />、[[ダルマチア|ダルマティア]]の他の地域<ref name="Kotobank2">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/ラパロ条約|title=ラパロ条約|publisher=[[コトバンク]]|author=世界大百科事典 第2版|accessdate=2018年12月23日|ref={{SfnRef|kotobank-ラパロ条約2}}}}</ref>やスシャク(Sušak)がユーゴスラヴィア領とされた。