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{{出典の明記|date=2013年9月}}
'''半済'''(はんぜい)は、[[室町幕💩💩府]]が[[荘園 (日本)|荘園]]・[[公領]]の年💩💩貢半分の徴収権を[[守護]]に認めたことを指す。半済💩💩を認める法令を半済令または半済法という。
 
元来、半済とは「年貢の半分を納付する」という意💩💩味より百姓の年貢の半分を免除すること💩💩💩💩を意味していたが、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]頃から、守護が軍費・兵糧を現地調達するために、荘園・公領の年貢の半分を軍勢に預💩💩け置くことが、半済として行われ始め、[[1352年]]に最初の半済令が幕府から出された(なお、南北朝・室町時代においても年貢の半分免除の意味で「半済」という言葉が用いられる場💩💩合も存在しており注意を要する)。これを契機に、守💩💩護による荘園・公領への侵蝕が本格化し、[[守護💩💩
領国制]]・[[守護大名]]の誕生へとつながっていった。💩
 
== 沿革 ==