「茶馬古道」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 秭睢潞漳泮洮洱淄などを含む記事の改名に伴うリンク修正依頼 (普洱市) - log
編集の要約なし
1行目:
[[File:Tea-Horse-Road.png|thumb|350px|茶馬古道(濃い赤線)]]
[[File:Men Laden With Tea, Sichuan Sheng, China 1908 Ernest H. Wilson RESTORED.jpg|thumb|180px|茶の運搬。1908年、四川省。]]
'''茶馬古道'''(ちゃばこどう)とは[[雲南省]]で取れた[[茶]]([[緊圧茶#磚茶|磚茶]])を[[チベット]]へ[[人]]および[[馬]]で運んだことから名付けられた[[交易路]]である。'''南のシルクロード'''(Southern Silk Road)とも。[[7世紀]]の[[唐]]や[[吐蕃]]の時代にはすでに交易が始められ、[[20世紀]]中ごろが流通の絶頂期と言われていて、[[毛沢東]]が自動車道を雲南に作るまでこの茶馬古道は使われていた
 
[[7世紀]]の[[唐]]や[[吐蕃]]の時代にはすでに交易が始められ、[[20世紀]]中ごろが流通の絶頂期と言われていて、[[毛沢東]]が自動車道を雲南に作るまでこの茶馬古道は使われていた。雲南省南部の[[モウ臘県|易武]]が起点。途中、[[景洪市]]や[[普洱市|プーアル]]、[[寧ジハニ族イ族自治県|那柯里]]などのメコン川沿いで寝泊まりしながら雲南省を北上し、[[南澗イ族自治県|虎街]]では町の真ん中を茶馬古道が通っている。その後、雲南の最初の王国・[[南詔|南詔国]]の都・[[巍山イ族回族自治県|巍山]]から[[大理]]を経由し、[[麗江市]]からは[[長江]]沿いを行き、[[ソンツェリン寺|ガダン・ソンザンリン寺院]]などを経由しながら雲南を出る。
'''茶馬古道'''(ちゃばこどう)とは[[雲南省]]で取れた[[茶]]([[緊圧茶#磚茶|磚茶]])を[[チベット]]へ[[人]]および[[馬]]で運んだことから名付けられた[[交易路]]である。
 
==概説==
[[7世紀]]の[[唐]]や[[吐蕃]]の時代にはすでに交易が始められ、[[20世紀]]中ごろが流通の絶頂期と言われていて、[[毛沢東]]が自動車道を雲南に作るまでこの茶馬古道は使われていた。雲南省南部の[[モウ臘県|易武]]が起点。途中、[[景洪市]]や[[普洱市|プーアル]]、[[寧ジハニ族イ族自治県|那柯里]]などのメコン川沿いで寝泊まりしながら雲南省を北上し、[[南澗イ族自治県|虎街]]では町の真ん中を茶馬古道が通っている。その後、雲南の最初の王国・[[南詔|南詔国]]の都・[[巍山イ族回族自治県|巍山]]から[[大理]]を経由し、[[麗江市]]からは[[長江]]沿いを行き、[[ソンツェリン寺|ガダン・ソンザンリン寺院]]などを経由しながら雲南を出る。
 
[[チベット]] 、[[ミャンマー]] 、[[ネパール]] 、[[インド]] などへ抜ける幾つかのコースがある。[[四川省]]を起点とするコースも含める<ref>藤木庸介, 北山めぐみ, [https://www.aij.or.jp/paper/detail.html?productId=299152 「6005 茶馬古道沿いに見る建築的様相の報告 その1 : 麗江古城周辺から大理古城周辺を事例として(農村計画)」『日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系』 47号 p.365-368, 2007-05-22 社団法人[[日本建築学会]], {{naid|110007052831}}、(登録必要)</ref>。