「大谷米太郎」の版間の差分

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*米太郎は銀行嫌いで有名で、取引はすべて現金決済とし[[銀行口座|口座]]すら持たなかった。これが裏目に出ることもしばしばあり、大谷製鐵を設立した際には戦時統制の絡みから当局の認可が必要だったが、信用調査に手こずりようやく認可を得た経緯がある。
*[[蔵前国技館]]の建設にあたっては、米太郎が勧進元となり完成にこぎつけた。また[[浅草寺]]寶蔵門も、[[1964年]]に米太郎の寄進によって再建されたものである。
*[[浮世絵]]のコレクターでも知られ、彼のコレクションは[[ニューオータニ美術館]]で見ることができ。この美術館は2014年3月23日をもって閉館した。
*当初、ホテル業に乗り出すことなど考えていなかった。しかし東京オリンピック開催が決まった後に当時のオリンピック担当大臣である[[川島正次郎]]からオリンピックのためぜひホテルを建てて欲しいと頼まれてホテル建設を決意したと本人は語っている<ref>[[朝日新聞]]・昭和39年8月31日朝刊記事(本人へのインタビュー記事)</ref>。{{see also|永野重雄#ホテルニューオータニ}}