「シク王国」の版間の差分

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[[ナーナク]]を開祖とする[[シク教]]は、元来は平和的な宗教であったが、[[イスラーム教|イスラーム]]勢力である [[ムガル帝国]]の政治的圧力と、インド人の勇猛な性格など諸因が重なって宗教団体が次第に政治組織・軍事組織化されていった。
 
第4代グルの[[グル・ラーム・ダース|ラーム・ダース]]は[[アムリトサル]]に[[ハリマンディル・サーヒブ|黄金寺院]]を建立した。さらに、これまでの歴代グルが師弟相承制であったのを血脈相承制、すなわち世襲制に移行させた。
 
[[1581年]]にラーム・ダースが死去すると、息子の[[グル・アルジュン|アルジュン]]が跡を継いだ。アルジュンは[[アムリトサル]]を拠点に定め、不完全ながらも税制を整備するなどシク教が宗教団体から政治結社に変貌していくことになった。政治結社に変貌していくとなれば当時、インド北部で大勢力だった[[ムガル帝国]]と対立するのは必然であった。
 
ムガル帝国は第3代皇帝[[アクバル]]のもとでは宗教融和が保たれ、アルジュンはアクバルと協調した関係を保ち、その保護を受けた。だが、[[1605年]]にアクバルが亡くなると、後継者の[[ジャハーンギール]]は聖典改革をめぐってアルジュンと対立するようになった。
[[1606年]]、アルジュンはジャハーンギールの皇子[[フスロー]]を支援したため、逮捕されて殺害された。なお、この事件が原因でシク教に[[殉教]]精神が芽生えることになる。
 
跡を継いだ第6代グルの[[グル・ハルゴービンド|ハルゴーヴィンド]]は先代の息子で、父の仇を報じるために護衛兵制度など教団改革に着手した。このため、政治宗教結社が軍隊まで揃える事態になった。
 
第9代グルの[[グル・テーグ・バハードゥル|テーグ・バハードゥル]]はインド全土や国外にもシク教を布教活動をしようとして、異教徒抑圧姿勢を見せていたムガル皇帝の[[アウラングゼーブ]]と対立し、[[1675年]]に[[デリー]]で処刑された。
 
その跡を継いだ息子の第10代グル・[[グル・ゴービンド・シング|ゴーヴィンド・シング]]はその復讐を唱えて、ムガル帝国と本格的に軍事衝突した。その一方で嬰児殺害や巡礼参拝などを廃止して、禁酒・禁煙制を定めるなど組織の強化を図った。
 
[[1707年]]にゴーヴィンド・シングはムガル皇帝[[バハードゥル・シャー1世]]に帰順したが、デカンへの遠征への最中に[[アフガン人]]に暗殺された。彼の息子はムガル帝国との戦役で死んでいたため、遺言によりこの後は聖典がグルとされることになった。