「アール・ヌーヴォー」の版間の差分

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{{参照方法|date=2010年2月}}
[[ファイル:Vase Daum.jpg|thumb|right|120px|[[ドーム兄弟|ドーム]]の壺(ナンシー派、1900年頃)]]
'''アール・ヌーヴォー'''('''{{lang-fr|Art nouveau}}'''は、[[19世紀]]末から[[20世紀]]初頭にかけて[[ヨーロッパ]]を中心に開花した国際的な[[美術]]運動。「新しい芸術」を意味する。花や植物などの有機的な[[モチーフ]]や自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない[[装飾]]性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。分野としては[[建築]]、[[工芸品]]、[[グラフィックデザイン]]など多岐にわたった。
[[File:Art Nouveau composition.jpg|thumb|200px|アール・ヌーヴォー作品]]
[[第一次世界大戦]]を境に、装飾を否定する低コストな[[モダニズム|モダンデザイン]]が普及するようになると、[[アール・デコ]]への移行が起き、アール・ヌーヴォーは[[世紀末]]の退廃的なデザインだとして[[美術史]]上もほとんど顧みられなくなった。しかし、[[1960年代]]の[[アメリカ合衆国]]でアール・ヌーヴォーの[[リバイバル]]が起こって以降、その豊かな装飾性、個性的な造形の再評価が進んでおり、[[新古典主義]]と[[モダニズム]]の架け橋と考えられるようになった。[[ブリュッセル]]や[[リガ]]歴史地区のアール・ヌーヴォー建築群は[[世界遺産]]に登録されている。
アール・ヌーヴォーの理論的先駆は[[ヴィクトリア朝]][[イギリス]]の[[アーツ・アンド・クラフツ]]運動に求められる。[[ウィリアム・モリス]]や[[ジョン・ラスキン]]らは、工業化の進行とそれによる創造性の枯渇を厭い、社会の再生<!--regeneration:刷新-->は、人々の周りにあり人々が使うもののフォルムの真正性によってしか成されないのであるとして、[[中世]]の[[ギルド]]の精神、自然界のモチーフの研究、洗練されたフォルム<!--の使用-->への回帰を強く勧めた。
 
<!--[[Image:SalleSynodaleChateaudeRoquetaillade.jpg|thumb|left|300px|[[ロックタイヤード城]]の教区会議広間]]-->
フランスでは、この意図は多少なりとも[[モラリスト]]的で、より合理的なものとなった<!-- 金科玉条にせずコンセプトだけを柔軟に受け取ったわけです-->。[[ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク]]は現代的な素材(特に鉄)を拒絶せず、中世の[[ゴシック建築]]の構造と同様に逆にそれに装飾的・美的な機能を与えて誇示した。一連の[[ゴシック・リヴァイヴァル建築|ネオ・ゴシック]]運動の先導者として知られていたにも関わらず、ヴィオレ・ル・デュクは数々のアール・ヌーヴォーの建築家にも影響を与えた。[[ロックタイヤード城]]の[[フレスコ画]](1859)を含む彼の諸作品はネオ・ゴシック運動とアール・ヌーヴォーの血縁関係の完璧な例である。
 
 
== 目的 ==
<!--[[Image:Villa_Majorelle_entr%C3%A9e_01_by_Line1.jpg|thumb|マジョレル邸の玄関の金物工芸]]-->
 
アール・ヌーヴォーは、フォルムの再生を妨げる格式ばった歴史主義とは異なる選択肢を提案するために象牙の塔から出て、日用品の装飾を引き受け過去の様式を断ち切りつつも利用する一群の芸術家たちの営みであった。
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