「奥崎謙三」の版間の差分

当該作品の記事が存在するため除去。
m (→‎外部リンク: {{反天皇制}})
(当該作品の記事が存在するため除去。)
== 昭和天皇パチンコ狙撃事件 ==
[[1969年]][[1月2日]]、[[皇居]]で6年ぶりにおこなわれた[[皇室#国民との関わり|一般参賀]]で、奥崎は[[昭和天皇]]に向かってパチンコ玉を発射した。昭和天皇がバルコニーにいたところ、奥崎が15メートル先から手製の[[スリングショット|ゴムパチンコ]]でパチンコ玉3個を発射。さらに、「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と声を挙げ、パチンコ玉をもう1個放った。玉はいずれも昭和天皇の足元付近、バルコニーのすそかくしに当っただけだった。奥崎は私服警官にその場で逮捕された。[[公判]]では、性器を露出して検事に小便をかけ、判事に唾を吐きかけた<ref>河原敏明『天皇家の50年』p.228</ref>。結局、[[暴行罪]]で懲役1年6か月の判決を受けた。当時はバルコニーに防弾ガラスが入っていなかったが、この事件を機に入れるようになった。
 
== ゆきゆきて、神軍 ==
[[1987年]]、[[ドキュメンタリー映画]]『[[ゆきゆきて、神軍]]』(監督:[[原一男]]、[[疾走プロダクション]])が公開される。奥崎はかつての所属部隊・独立工兵隊第36連隊のうち、ウェワク残留隊において隊長による部下射殺事件があった事実を知り、当時の二人の兵士、吉沢徹之助の妹・崎本倫子、野村甚平の弟・寿也とともに“[[敵前逃亡]]"の罪で処刑した元上官たちを訪ね、真相を究明しようと試みる。二人の日本兵は敗戦後3日目には敗戦を知っていたにも関わらず、その20日後に[[死刑|処刑]]されたという。だが、当時の上官は処刑に立ちあったことは証言したものの、ひとりは空砲だったと言い、別のものは2人をはずして引き金を引いたと証言。誰が彼らを撃ったのかは不明のままとなる。しかし、すでに病人や高齢である当時の上官は容易には口を開きたがらない。しかし、奥崎は一歩も引かずさらに詰め寄り、ときにはその煮え切らない態度に業を煮やし殴りかかる。そのうち、殴られた上官は話しはじめ、少しずつ真実が見えてくる。その中で、彼らは[[飢餓]]状況の中で[[人肉]]を食べたことまで証言。やがて、二人の遺族は奥崎の、時として暴力も辞さない態度から、その後同行を辞退。奥崎はやむを得ず、妻と知人に遺族の役割を演じさせ、処刑の責任者たる古清水元中隊長を訪問し真相を質す。また同時に、独工兵第36部隊の生き残り、山田吉太郎元[[軍曹]]に当時の様子をありのままに証言するように迫る。[[1983年]][[12月15日]]、奥崎は古清水宅を訪ね、たまたまその場で対応に出た息子に向け改造[[拳銃]]を発砲した。その後神戸に戻り、シズミと握手を交わした。その二日後、神戸市福原町にある[[お好み焼き]]店から[[兵庫警察署]]に「事件について話したい。」と電話を入れ、駆けつけた[[日本の警察官|警察官]]に逮捕された。その後神戸から[[広島県|広島]]の大竹中央署に護送される際、駆けつけた報道陣に対し、手錠をかけられたまま右手を振り上げ、「ご苦労さん!!」と言いながら車に乗った。殺人未遂などで徴役12年の[[実刑]][[判決 (日本法)|判決]]を受け、3年後の[[1986年]][[9月18日]]に妻のシズミが没している<ref name="shingun">映画『ゆきゆきて、神軍』(1987年 監督:[[原一男]])</ref>。
 
== 著書 ==
* 『ヤマザキ、天皇を撃て!』[[三一書房]] 1972年9月30日 新泉社 1987年8月 ISBN 4787787187
* 『宇宙人の聖書!? <small>天皇ヒロヒトにパチンコを撃った犯人の思想・行動・予言</small>』サン書店 1976年3月{{全国書誌番号|82021629}}
* 『不敬列伝』[[沢木耕太郎]] 1976年 [[新潮文庫]]『人の砂漠』収載 1980年 ISBN 978-4-10-123501-1
* [[原一男]] - 『ゆきゆきて、神軍』監督
* [[安岡卓治]] - 『ゆきゆきて、神軍』のスタッフ。通訳として西ニューギニアロケにも唯一同行
* [[井出孫六]] - 1972年、「皇居パチンコ事件」の冒頭陳述書を『ヤマザキ、天皇を撃て!』として出版。1980年には、奥崎とともに西ニューギニアへ慰霊に赴いた
* [[天皇制廃止論]]