「統一ロシア」の版間の差分

編集の要約なし
 
== 歴史 ==
[[1999年ロシア下院選挙|1999年の下院選]]前に、強い[[与党]]の創設を目論んだ[[政権]]側の肝いりで有力州知事らが[[セルゲイ・ショイグ|ショイグ]]非常事態相を党首に結成した政党「{{ill2|統一 (ロシアの政党)|en|Unity (Russian political party)|label=統一}}」と、同[[1999年]]に[[ユーリ・ルシコフ|ルシコフ]]・[[モスクワ]]市長と[[ミンチメル・シャイミーエフ|シャイミーエフ]]・[[タタールスタン共和国]]大統領が[[エフゲニー・プリマコフ|プリマコフ]]元[[ロシアの首相|首相]]らがとともに結成した[[中道左派]]連合「[[祖国・全ロシア]]」が、[[2001年]][[12月1日]]に統合して成立した。ショイグ、ルシコフ、シャイミーエフの三者が党最高会議の共同議長(党首)を務めた。
 
[[2002年]]11月、党最高会議ビューロー(執行部)議長(党首)に[[ボリス・グルイズロフ|グルイズロフ]][[ロシア内務省|内相]]が選出された。[[2003年ロシア下院選挙|翌2003年の下院選]]で統一ロシアは圧勝し第一党となる。選挙後に召集された議会でグルイズロフは下院議長に就任した。[[2004年]][[11月]]の党大会で、下院議長だった[[ボリス・グルイズロフ|グルイズロフ]]が党最高会議ビューロー議長にされ
 
[[2006年]][[12月2日]]、[[エカテリンブルク]]で党大会が開催された。党大会ではグルイズロフ下院議長・党首、ルシコフら地方政府代表が参加した。この党大会では今後10年間の国家建設の指針となる「国家発展戦略」を採択した。同戦略は[[2007年ロシア下院選挙]]及び、[[2008年ロシア大統領選挙]]に向けての党の[[マニフェスト|公約]]でもある。一方で党内では[[シロヴィキ]]と反シロヴィキの駆け引きが熾烈なものとなり、党役員改選では、当初、役員に選出されると予想されていた[[ロシア鉄道]]の[[ウラジーミル・ヤクーニン]]社長が選出されなかった。