「ミンチメル・シャイミーエフ」の版間の差分

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[[2000年]]に[[ウラジーミル・プーチン]]が大統領に就任し、プーチンは中央集権化政策を実行するが、老練なシャイミーエフは、プーチンと正面衝突することを避け、タタールスタンが持つ特権の現状維持を図った。ロシア連邦憲法及びタタールスタン共和国憲法では、地方の大統領・知事などの三選は禁止されていたが、プーチンは、タタールスタンに特例を認め、[[2001年]]3月のタタールスタン大統領選挙で三選した。シャイミーエフの下でタタールスタンは総合経済指標で[[モスクワ]]に次ぐ2位のロシア連邦主体となった。また、[[カザン地下鉄]]の建設や[[世界遺産]]として強引に推し進めた[[カザン・クレムリン]]の再建なども成功し、シャイミーエフは絶大な支持を得て、[[2005年]]3月に四選することができた。
 
[[2010年]]、[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]の大統領就任に伴い、次世代の指導者に地位を譲るとして{{仮リンク|ルスタム・ミンニハノフ|en|Rustam Minnikhanov}}をメドヴェージェフに推薦してタタールスタン大統領の職を辞し、国家顧問に就任した<ref>Alexandra Odynova and Alexander Bratersky, [http://www.times.spb.ru/index.php?action_id=2&story_id=30673 "Tatarstan President Quits As Kremlin Revamps Regions"], ''The St. Petersburg Times'', Issue #1542, January 26, 2010.</ref><ref>{{cite web|url=https://shaimiev.tatarstan.ru/eng/biography |title=BIOGRAPHY |website=TATARSTAN |accessdate=2020-10-15}}</ref>。
 
== パーソナル ==