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このうち、神奈川縣護國神社、宮崎縣護國神社、[[熊本県護国神社|熊本縣護國神社]]の3社は1945年(昭和20年)8月15日時点で完成に至らず、日本の敗戦に伴い造営が中止された。
 
神奈川縣護國神社は、[[1942年]](昭和17年)7月27日、[[横浜市]][[神奈川区]]三ツ沢西町・南町(現在の[[三ツ沢公園]])に創立許可を得て社殿造営が開始されたが<ref>「神奈川縣護國神社創立」(昭和17年7月30日内務省告示第530號)</ref>、完成間近の[[1945年]](昭和20年)5月29日の[[横浜大空襲]]により焼失した。第二次世界大戦後も再建されず、神奈川縣護國神社跡地には、[[1953年]](昭和28年)3月に横浜市戦没者慰霊塔が建てられた。なお、同年11月5日竣工した神奈川県戦没者慰霊堂(横浜市[[港南区]]最戸)には戦没者及び[[戦災]]死者5万8千余名の[[名簿]]が納められ、毎年5月10日に神奈川県主催の神奈川県戦没者追悼式が行われるほか<ref>[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f153/p2926.html 神奈川県戦没者慰霊堂のご案内]、神奈川県ホームページ、2011年3月1日</ref>、多宗教による合同祭祀が行われている。ただ、神奈川県内での[[護国神社]]の役割は[[横浜市]][[西区]]宮崎町に鎮座する[[伊勢山皇大神宮]]が担っており、秋には西南戦争以来の県の戦没者慰霊祭が執り行われており、その為に「野毛山招魂社」の別名で呼ばれることもあった。大正期には、県の殉職警察官・消防官の慰霊祭も行われ、その奉納行事として撃剣競技の大会も開催された。戦時下になると、県主催の戦勝祈願祭や戦勝奉告祭が度々行われた。
 
宮崎縣護國神社は、[[1943年]](昭和18年)4月23日、[[宮崎市]]下北町(現・同市下北方町)に創立許可を得て造営に着手したが<ref>「宮崎縣護國神社創立」(昭和17年4月28日内務省告示第234號)</ref>、勤労奉仕による整地作業が終わり[[建築材料|建築用材]]及び建設資金を集めた時点で終戦を迎えたため、GHQ宮崎軍民政部長官の厳命で建設放棄を余儀なくされた。主権回復後の1953年(昭和28年)4月に宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して再建に着手し、[[宮崎神宮]]の境内に建設された。1955年(昭和30年)3月10日竣工、同日鎮座祭が斎行された。