「テレシア・ウンノ」の版間の差分

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'''テレジア・海野'''('''Sister Theresia Unno'''、[[1911年]] - [[1989年]][[12月31日]])は、[[日本]]の[[カトリック教会|カトリック]][[修道女]]。静岡県静岡市生まれ。本名、'''海野常世'''(とこよ)。テレジアは[[洗礼名]]
 
== 生涯 ==
家族にクリスチャンが多く若くして入信し洗礼を受ける。[[1930年]]、東京都[[豊島師範学校]]卒。[[大連]]および[[撫順]]で幼稚園長を勤めて[[1939年]]に日本に帰国。[[1942年]]に「[[マリアの宣教者フランシスコ修道会]]」に入った。戦後は日本国内各地のミッション系学校の教員として定年を迎え、還暦となった[[1972年]]に[[フィリピン]]の[[バギオ]]に赴任。太平洋戦争後迫害を恐れ山中に隠れて貧しい生活を余儀なくされていた日系[[メスティーソ]]の救済に貢献し、経済活動、育英事業、農業協同組合結成などに尽力し、1987年に北ルソン比日基金を創設した。また、日系社会救済とともに旧日本兵の遺骨収集も行った。1981年ベンゲット州名誉州民号の栄誉に浴し、1984年、勲六等宝冠章を受章した。
[[静岡県]][[静岡市]]生まれ。家族に[[クリスチャン]]が多く若くして入信し[[洗礼]]を受ける。[[1930年]]、東京都[[豊島師範学校]]卒。
 
家族にクリスチャンが多く若くして入信し洗礼を受ける。[[1930年]]、東京都[[豊島師範学校]]卒。[[大連]]および[[撫順]]で幼稚園長を勤めて[[1939年]]に日本に帰国。[[1942年]]に「[[マリアの宣教者フランシスコ修道会]]」に入った。戦後は日本国内各地のミッション系学校の教員として定年を迎え、[[還暦]]となった[[1972年]]に[[フィリピン]]の[[バギオ]]に赴任。[[太平洋戦争]]後迫害を恐れ山中に隠れて貧しい生活を余儀なくされていた日系[[メスティーソ]]の救済に貢献し、経済活動、育英事業、農業協同組合結成などに尽力し、1987年に北ルソン比日基金を創設した。また、日系社会救済とともに旧日本兵の遺骨収集も行った。1981年[[ベンゲット州]]名誉州民号の栄誉に浴し、1984年、[[勲六等宝冠章]]を受章した。
 
== 参考文献 ==
* ハポン: フィリピン日系人の長い戦後([[大野俊]]著、[[第三書館]]、1991年)
 
== 外部リンク ==