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'''丸岡 修'''(まるおか おさむ、[[1950年]]([[昭和]]25年)[[10月20日]] - [[2011年]]([[平成]]23年)[[5月29日]])は、[[テロリスト]]・[[日本の新左翼]]活動家。[[日本赤軍]]の元メンバーで軍事部門の最高幹部だった。[[徳島県]]出身。
 
==経歴==
 
== その他 ==
* 日本赤軍メンバーの[[岡本公三]]の話によれば、[[テルアビブ空港乱射事件]]は当初の計画では丸岡を含めた4人でおこなう予定であったが、丸岡が別行動をとったために3人で襲撃したと供述している。同様のことは本人も[[重信房子]]の[[公判]]に於いて、[[奥平剛士]]からの参加要請に対し、「そんな話は聞いていない。準備していないから一年後であれば応じられる」と断った、と認めている<ref name=waka />。奥平はそれに対し「(奥平らが)[[テルアビブ]]での作戦に成功したら、(丸岡が)日本でパルチザン部隊を作るように」と告げ、約束を交わしたが、事件の直後すぐに[[日本]]の[[公安警察|公安当局]]にマークされた丸岡は日本への帰国を諦め、重信らに合流した<ref name=g2/>。[[2011年]][[10月19日]]<ref>[http://michiwonokai.blog134.fc2.com/blog-entry-13.html 旧・拡張型心筋症の丸岡修さんに生きる途をの会(関西)]</ref>、丸岡の遺骨は[[レバノン]]・[[ベイルート]]にあるパレスチナ・コマンドや[[ガッサーン・カナファーニー]]など著名な活動家が埋葬されている墓地にある、乱射事件に参加した奥平、[[安田安之]]、事件の計画に関与した檜森孝雄が眠る墓に納骨された<ref>[http://www.palwatch.org/main.aspx?fi=157&doc_id=14040 Fatah glorifies Japanese and Palestinian terrorists]</ref>。
 
== 著書 ==
*『公安警察ナンボのもんじゃ』 [[新泉社]]、1990年10月。ISBN 4787790196
*『丸岡修自述―元・日本赤軍軍事指揮官告白録』 [[風塵社]]、2013年5月。ISBN 9784776300564