「在日本朝鮮人連盟」の版間の差分

補記など
(補記など)
[[初代総選挙 (大韓民国)|南朝鮮単独の選挙]]を非難する一方で[[朝鮮民主主義人民共和国]]建国を支持し、建国時には祝賀事業を行った<ref name="1korea20091016" />。[[1948年]](昭和23年)[[12月23日]]には北朝鮮に派遣された慶祝団は[[金日成]]主席との会見を実現させている<ref name="1korea20091016" />。
 
[[1945年]](昭和20年)9月30日には[[GHQ]]が「朝鮮人連盟発行の鉄道旅行乗車券禁止に関する覚書」で、朝連が「治外法権的地位にないこと」を発表しており、[[1949年]](昭和24年)9月8日にはGHQにより[[団体等規正令]]<ref>のちに[[破壊活動防止法]]となる</ref>の「暴力主義的団体」として解散を命じられ、その資産は没収されることになった<ref name="korea" />。この時にGHQが「戦勝国民」(アメリカ人)でも「敗戦国民」(日本人)でもない「第三国民である」と規定したことから、彼らが「[[三国人]]」と呼ばれるようになった<ref name="bando-z2">「第二章 移民国家日本の歴史」({{Harvnb|坂東|2016|pp=33-134}})</ref>。
 
資産の明け渡しは翌1950年にかけて行われたが、連盟名古屋支部は建物の引き渡しに抵抗。同年11月27日には、朝鮮人学校生と約200人が愛知県庁に押し寄せ引き渡し拒否を訴えた<ref>「朝鮮人、警官と衝突 名古屋でも」『日本経済新聞』昭和26年11月28日3面</ref>。
 
その後は、後継団体として[[在日朝鮮統一民主戦線]]が結成され、後に[[在日本朝鮮人総聯合会]]へと発展していった<ref name="bando-z2"/>
 
==参考文献==
*{{Cite book|和書|author=篠崎平治|authorlink=篠崎平治|year=1955|title=在日朝鮮人運動|series=実務教養選書|publisher=[[令文社]]|ref=篠崎1955}}
*{{Cite book|和書|author=原尻英樹|authorlink=原尻英樹|year=1998|month=7|title=「在日」としてのコリアン|sereis=講談社現代新書|publisher=[[講談社]]|isbn=4-06-149410-4|ref=原尻1998}}
*{{Cite book|和書|author=[[坂東忠信]] |date=2016-10-08 |title=在日特権と犯罪{{fontsize|small|未公開警察統計データからその実態を読み解く!}} |publisher=[[青林堂]] |isbn=978-4792605674 |ref={{Harvid|坂東|2016}}}}
*{{Cite book|和書|author=宮崎学|authorlink=宮崎学|year=1998|month=2|title=不逞者|publisher=[[角川春樹事務所]]|isbn=4-89456-047-X|ref=宮崎1998}}
**{{Cite book|和書|author=宮崎学|authorlink=宮崎学|year=1999|month=4|title=不逞者|series=幻冬舎アウトロー文庫|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=4-87728-734-5|ref=宮崎1999}}