「ライオンズゲートブリッジ」の版間の差分
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[[画像:Lions_Gate_Bridge_at_night.jpg|thumb|500px|バンクーバー側の[[スタンレーパーク]]から見た夜のライオンズゲートブリッジ]]
[[File:Lions Gate Bridge (daytime).jpg|thumb|400px|バンクーバー側のスタンレーパークから見た昼のライオンズゲートブリッジと[[ウエストバンクーバー]]の住宅街]]
'''ライオンズゲートブリッジ'''({{lang-en-short|Lions Gate Bridge}})は、[[カナダ]]、[[ブリティッシュコロンビア州]]・[[メトロバンクーバー]]の[[バラード入り江]]のファーストナローズ(First Narrows)を跨いで、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]とノースショア([[ウェストバンクーバー]](地区)、[[ノースバンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|ノースバンクーバー]](市)、[[ノースバンクーバー (地区)|ノースバンクーバー]](地区))を結ぶ[[吊
この橋は、南のバンクーバー側は[[スタンレーパーク]]にあり標高が高いのに対し、北のノースショア側が低いところにあるため、北側には高架の区間が設けられている。
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その後、ブリティッシュコロンビア州政府で働いていたアルフレッド・J・T・テイラーが架橋計画を推進する。テイラーは[[ギネス|ギネスビール]]で有名なギネス一族に出資を求め、ノースショア側の新興住宅地(現在のブリティッシュ・プロパティ)建設に投資させ、その一環としての架橋への融資をとりつけた。そのため、この橋はギネス一族が所有する有料道路として開通することになった。
1933年12月13日に二度目の投票が行われ、得票の約70%が架橋計画に賛成したことで当局からも架橋許可が下りた。この架橋プロジェクトには、当時の[[世界恐慌]]へのバンクーバーの労働者や製造業に対する救済政策という面もあった。橋の設計はモントリオールのモンサラット&プラットリー社に依頼され、吊
橋本体の建設工事は1937年3月31日に開始され、約1年8か月後の1938年11月14日に開通を迎えた。総工費は587万3837.17[[カナダドル]]であった。ただし公式な開業日は翌年5月29日、[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]と[[エリザベス・ボーズ=ライアン|エリザベス王妃]]がバンクーバーに行幸した日となっている。
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先述した通り開業当時は(建設費用を回収するためもあり)有料橋で、通行料は自動車および馬車が1台25セント、歩行者及び自転車は1人5セントだった。1955年1月にブリティッシュコロンビア州政府に売却されたのち、1963年4月1日に無料開放され料金所も撤去された。また建設当初は2車線だったが、その後住宅地が拡大し需要が高まったことで時間によって通行方向を変える1車線を中央に増設し、3車線となった。1975年には北岸側の高架橋を架け替えた。
その後、2000年から2001年にかけて中央の吊
橋には照明装置が付いており、夜間にライトアップされる。この照明装置は1986年の[[バンクーバー国際交通博覧会|バンクーバー万博]]の際に、かつての所有者ギネス一族から寄付されたものが始まりである。初代の装置は100[[ワット]][[水銀灯]]を使っていたが、2009年に[[LED照明|LED電灯]]を使う新しい装置と交換された。この交換によって使用電力量は9割削減され、また年間3万ドルの電気料金とメンテナンスコストが削減された。
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* [[バラード入り江]]
* [[スタンレーパーク]]
* [[支間長順の吊
== 外部リンク ==
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{{DEFAULTSORT:らいおんすけえとふりつし}}
[[Category:吊
[[Category:道路橋]]
[[Category:カナダの橋]]
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