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'''水町 京子'''(みずまち きょうこ [[1891年]][[12月25日]] - [[1974年]][[7月19日]])は、日本の[[歌人]]、[[教育者]]。[[作詞家]]としても名を残す。本名は'''甲斐ミチ'''(かいミチ)。
 
==経歴==
1891年、[[香川県]][[高松市]]に生まれる。[[東京女子高等師範学校]]国文科に進み、在学中に尾上紫舟の指導を受ける。のち[[古泉千樫]]の門に入り青垣会に参加。小泉没後は、独自に活動を続け大正時代末期から自ら歌集「草の実」、「不知火」などを刊行。1935年より「遠つびと」(とほつびと)を主宰し、亡くなるまで主幹を務めた。歌人としての活動と並行し、教育者として淑徳女学校(現:[[淑徳中学校・高等学校]]もしくは[[淑徳大学]])で国語教師を務めた後<ref>{{Cite web |date= |url= https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E7%94%BA%20%E4%BA%AC%E5%AD%90-1655831|title= 水町京子|publisher=20世紀日本人名事典 |accessdate=2020-10-20}}</ref>、桜美林学園(現:[[桜美林大学]])へ移り[[教授]]を務めた。1974年7月19日、冠状動脈不全のため[[神奈川県]][[相模原市]][[地域医療機能推進機構相模野病院|相模野病院]]で死去。83歳。葬儀は桜美林学園の学園葬として行われた<ref>訃報欄『朝日新聞』昭和49年(1974年)7月21日朝刊、13版、23面</ref>。
 
==主な著作==
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==脚注==
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[[Category:20世紀の歌人]]
[[Category:日本の女性歌人]]