「プロコピオス」の版間の差分

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因みに「プロコピウス(プロコピオス)」という名前に関係する人物で記録上最後に判明している人物は、プロコピオスの時代から約300年後の9世紀初めの東ローマ皇帝でニケフォロス朝の創始者ニケフォロス1世(760年 - 811年7月26日)の娘プロコピアで、ニケフォロス朝最後の皇帝でニケフォロス1世の娘婿ミカエル1世ランガベー(780年頃 - 844年1月11日)の妻となり、5人の子女を儲けている。「プロコピア」は「プロコピウス(プロコピオス)」の女性形となる。
 
プロコピオスの家系と皇帝ユリアヌスの母方従兄の家系4人、プロコピアの家系(ニケフォロス朝)それぞれが血縁・縁戚関係があるのか否かもはっきりせず、あったとしても続柄も不明である。
 
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