「伊藤剛 (評論家)」の版間の差分

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{{観点|date=2008年12月}}
'''伊藤 剛'''(いとう ごう、[[1967年]][[2月]] - )は、[[愛知県]][[名古屋市]]出身の日本の[[漫画評論家]]。[[東京工芸大学]]芸術学部マンガ学科[[教授]]。主著に『テヅカ・イズ・デッド』。[[愛知県]][[名古屋市]]出身
 
== 経歴 ==
=== 岡田斗司夫・唐沢俊一との紛争 ===
{{出典の明記|date=2014年11月|section=1}}
* 1990年代半ばに、伊藤は[[ニフティサーブ]]のコメディ[[フォーラム]]内の[[岡田斗司夫]]、[[唐沢俊一]]、[[眠田直]]の三人が[[議長]]を務める[[オタクアミーゴス]]会議室、及び[[と学会]]に入会した。伊藤によると周囲からは唐沢とは師弟関係として認識されていたが、1997年7月、唐沢から関係を絶縁するという告知がされて以降、唐沢は伊藤に対する誹謗中傷を繰り返してきたという<ref>[https://web.archive.org/web/20061230214926/http://www.t3.rim.or.jp/~goito/keii.html 事件の経緯(99.2.1/00.3.9一部改変)]</ref>。伊藤は1998年7月に出版された、岡田斗司夫編『国際おたく大学』(光文社)掲載の記事「[[サブカルチャー|サブカル]]のパンドラの箱〜伊藤(バカ)くん問題」が[[名誉毀損]]等であるとして、11月、岡田斗司夫と[[光文社]]、及び当該記事の執筆者である唐沢俊一とその妻[[ソルボンヌK子]]を、[[東京地方裁判所|東京地裁]]に提訴。1999年7月23日、上述の民事訴訟で和解し、岡田及び唐澤夫妻の謝罪文がウェブ上に(削除済み)、光文社による謝罪文が『小説宝石』1999年9月号に掲載される運びとなった<ref>[https://web.archive.org/web/20070208064723/http://www.t3.rim.or.jp/~goito/indexx.html "オタク"が終わったあとに(旧・『国際おたく大学』の唐沢俊一の原稿に対する名誉毀損裁判に象徴される、唐沢俊一/岡田斗司夫的オタクの問題についての考察)]</ref>。
 
== 著書 ==