「マックス・ブルッフ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
36行目:
* [[1867年]](29歳) - {{仮リンク|ゾンダースハウゼン|de|Sondershausen|en|Sondershausen}}の[[宮廷楽長]]を務める。
* [[1880年]](42歳) - イギリスに渡り、[[ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団|リヴァプール・フィルハーモニー協会]]の首席指揮者を務める。
* [[1881年]](43歳) - ソプラノ歌手クララ・トゥチェック (Clara Tuczek) と結婚する。クララとは後に4人の子供をもうける。
* [[1883年]](45歳) - [[ブレスラウ]]演奏協会長に就任する。
* [[1891年]](53歳) - [[ベルリン芸術アカデミー|プロイセン芸術アカデミー]]作曲部長、[[ベルリン高等音楽院]]教授に就任する。
* [[1893年]](55歳) - [[ケンブリッジ大学]]から名誉博士号を贈られる<ref>[[伊藤恵子]] 『チャイコフスキー』 音楽之友社、2005年、172頁。</ref>。
* [[1907年]](69歳) - 芸術アカデミーの副総裁に就任する。
* [[1910年]](72歳) - 芸術アカデミーの職を退く。
109行目:
 
== 参考文献 ==
* Christopher Fifield (2005), ''Max Bruch: His Life And Works'' George Braziller, New York.
 
== 外部リンク ==