「大野群右衛門」の版間の差分

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== 生涯 ==
赤穂藩家老・大野知房の嫡男として誕生。[[部屋住み]]の身ながら、大野家の家禄と別に米20石を支給されていた。
 
赤穂藩改易後に父・知房が藩内で孤立すると、[[元禄]]14年([[1701年]])4月12日に父とともに赤穂から逃亡した。幼い娘を置き去りにしての逃亡であったという。その後の消息は不明。[[伊藤東涯]]の書状によると、父・知房は「伴閑精」と称して京都の仁和寺の辺りに住んだと記されているが、群右衛門については触れられていない。