「久保井規夫」の版間の差分

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}}</ref>、[[2013年]]5月には韓国側の招きで「[[『竹島の日』を考え直す会]]」の他のメンバー2人と共に竹島を訪問し、[[大韓民国の国旗|太極旗]]を振って「独島は韓国領」と叫んだ<ref>[http://japanese.joins.com/article/965/171965.html 独島に行った日本人歴史学者・僧侶3人、「独島は韓国領土」] [[中央日報]] 2014年5月24日</ref>。
 
[[長久保赤水]]の[[『日本輿地路程全図』]]や[[『改正日本輿地路程全図』]]には、現在、日韓間で領有問題の起きている[[竹島 (代表的なトピック)|竹島]]が当時の名称「松島」で記されているが、久保井は、日本では竹島の日本領有を裏付ける資料としてしばしば引用されるとしているが、竹島と松島には地図の初版から日本の領有を示す[[経線]][[緯線]]が引かれていない。1840年の第5版は竹島・松島が日本の所有ではないとして地図から消している。これは[[1836年]] [[浜田藩]]の[[会津屋八右衛門]]の事件([[竹島事件]])を受けて、幕府が竹島・松島が日本領ではないということを明確にするために取った処置と久保井は考える。その後、1846年版に再び竹島と松島が地図に表われ、[[経線]][[緯線]]が地図全体に引かれるようになる。この件について久保井は、「竹島」(鬱陵島)は、1696年の[[竹島一件]]で明確に朝鮮領となったため、[[長久保赤水]]の地図において、常に「竹島」(鬱陵島)と同じ水域に表示されるはずの「松島」(=独島)だけを日本領とするのには無理があると主張している<ref>[[#久保井1|久保井規夫『図解 竹島=独島問題の解決』(2014)pp.58-59]]</ref>{{refnest|group="注釈"|実際は1840年の正規版にも竹島(現在の鬱陵島)・松島(現在の竹島)が記されている。改正日本輿地路程全図は当時100年近くの長期間発行されていたため、廉価な一色刷りや海賊版も発売されていた。}}。
 
『改正日本輿地路程全図』について久保井は「製作者の序文も、発行場所の名称も、『第○版』という刻印もないので海賊版である」と主張し、「日本政府が正規版ではない海賊版を使用するのは、鬱陵島・独島を日本領に仕立てることができるから」と断罪している{{refnest|group="注釈"|実際は、日本の外務省は1846年の正規版を使用している。}}。
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== 関連項目 ==
* [[竹島 (代表的なトピック)|竹島]]
* [[竹島問題]]
* [[『竹島の日』を考え直す会]]