「マルクス・アエミリウス・スカウルス」の版間の差分
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{{Infobox 共和政ローマ
|人名= マルクス・アエミリウス・スカウルス<br>M. Aemilius M. f. L. n. Scaurus▼
▲|人名= マルクス・アエミリウス・スカウルス
|画像=Ritratto maschile I secolo ac..JPG
|見出し=スカウルスと思われる大理石像
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|出身階級=[[パトリキ]]
|氏族名=[[アエミリウス氏族]]
|官職=
|指揮戦争=
}}
'''マルクス・アエミリウス・スカウルス'''({{Lang-la|Marcus Aemilius Scaurus
==出自==
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{{Quotation|一方で、裕福さよりも正義と公正が重要と考える少数の人々は、アドヘルバルに援助を与えヒエンプサル殺害について厳しく追及すべきだとした。その中でもアエミリウス・スカウルスは目立っており、エネルギーと権力欲と名声欲にあふれた貴族であり、自らの過ちを隠す賢さを持っていた。王(ユグルタ)が賄賂を贈ったとき、スカウルスはこれが露見すれば一般民衆の憤慨を引き起こすだろうと考え、習慣的な貪欲さを抑制した。|''Bellum Jugurthinum'', I. 15}}
[[元老院 (ローマ)|元老院]]のリーダーとして、彼は外国の王との争いを解決するためにしばしば外国に赴いた。紀元前109年、[[マルクス・リウィウス・ドルスス]] と共に[[ケンソル]]に選ばれたが、翌年ドルススが亡くなり、ケンソル職も交代になった。ケンソルとして[[アエリミア・スカウリ街道]]の建設を命じ、いくつかの橋を修復した。紀元前104年、
彼の2度目の妻{{仮リンク|カエキリア・メテッラ・ダルマティカ|en|Caecilia Metella Dalmatica}}は、後に[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]の3度目の妻となっている。この結婚で次の2人の子供が生まれた。
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