「三遊亭圓楽 (5代目)」の版間の差分

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* [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の大物政治家で[[衆議院議長]]・[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]を務めた[[灘尾弘吉]]と[[親戚]]関係だった(灘尾弘吉の父方のいとこの妻が、圓楽の母の姉にあたる)<ref name="joseijishin">『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。</ref>。この件はテレビや雑誌でも本人が語っていた。また内閣総理大臣を務めた[[三木武夫]]、[[福田赳夫]]といった大物政治家とも交友関係にあった為、[[1986年]](昭和61年)の[[第14回参議院議員通常選挙|参議院選挙]]の際には出馬を打診されてもいるが、実現はしなかった。彼自身も上記のように保守的な思想の持ち主だった。
* [[1972年]](昭和47年)[[6月14日]]に発生した[[日本航空ニューデリー墜落事故]]で、[[客室乗務員]]だった実妹(当時23歳)を亡くしている。その事故の直前、圓楽が実家の本堂で睡眠していると、誰も叩いてないはずの[[木魚]]の音に目を覚まさせられ、その直後に実妹の訃報が届いたという。
**一方で、圓楽自身は[[1985年]](昭和60年)[[8月12日]]発生の[[日本航空123便墜落事故#搭乗予定を変更して難を逃れた著名人|日本航空123便墜落事故]]を免れたという逸話がある。当時の他の笑点メンバーである[[桂歌丸]]、[[林家木久扇|林家木久蔵(初代、現・林家木久扇)]]、[[林家こん平]]、[[三遊亭小遊三]]、[[三遊亭圓楽 (6代目)|三遊亭楽太郎(現・6代目圓楽)]]、[[桂才賀|古今亭朝次(現・7代目桂才賀)]]、[[山田隆夫]]と共に翌日の阿波踊りに参加するため徳島入りの予定だったが、当初予約した[[徳島飛行場|徳島空港]]行きの航空機が遅延し、同空港では悪天候により条件運行となっていたため、一つ後の当該事故便に搭乗し{{Efn|その事故便はイベントに同行する予定だった数名の広告代理店社員が搭乗した。}}、神戸から船で移動する案が浮上した。しかし、こん平が「予約した便で行こう」と提案したため予約した徳島便に搭乗してその墜落事故の難を逃れた。同墜落事故については宿泊先のホテルへタクシーで移動中に知ったという<ref>{{Cite book|author=山田隆夫|title=ボクに運が巡ってくる55の理由|date=|year=|accessdate=|publisher=廣済堂出版|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。
* [[1988年]](昭和63年)には、実家の寺院に自身の墓を生前建立していた(いわゆる「'''[[寿陵]]'''」)。自他共に認めるせっかちな性格もあり、他人の作った墓に入るよりは自身で早く作ってしまおうと考えたため自分の墓を建立したとのこと。寺の生まれであるため、その墓石の素材等にもこだわりを持っていたと、6代目圓楽襲名決定記者会見の中で明らかにしている。墓石には'''「円楽之墓」'''と刻まれている。
** また、自らの墓の隣には航空機事故で早世した実妹(先述)の供養観音を建立している<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20091101-561742.html 円楽さん不慮の死をとげた妹と易行院に] 日刊スポーツ 2009年11月1日閲覧</ref>。