「アレックス・ハナム」の版間の差分

一部を修正。
編集の要約なし
(一部を修正。)
==選手キャリア==
選手としてのアレックス・ハナムことアレクサンダー・マレー・ハナムは、西カリフォルニア大学卒業後、[[1948年のBAAドラフト]]で[[インディアナ・ジェッツ]]から指名を受けるが、彼の入団を待たずしてジェッツは解散してしまったため、ハナムのルーキーイヤーは[[1949-1950シーズンのNBA|1949年]]から始まり、[[フィラデルフィア・セブンティシクサーズ|シラキュース・ナショナルズ]]、[[ボルティモア・ブレッツ (1944-54)|ボルティモア・ブレッツ]]、[[サクラメント・キングス|ロチェスター・ロイヤルズ]]、[[アトランタ・ホークス|ミルウォーキー/セントルイス・ホークス]]、[[デトロイト・ピストンズ|フォートウェイン・ピストンズ]]を渡り歩き、[[1956-1957シーズンのNBA|1956-57シーズン]]を最後に現役から引退した。NBA通算成績は8シーズン516試合の出場で、3,078得点2,013リバウンド、平均6.0リバウンド4.5リバウンドの成績だった。
 
==コーチキャリア==
ハナムは現役として最後のシーズンだった[[1956-1957シーズンのNBA|1956-57シーズン]]からセントルイス・ホークスの選手兼ヘッドコーチとなり、2年目の[[1957-1958シーズンのNBA|1957-58シーズン]]には当時黄金時代を迎えつつあった[[ボストン・セルティックス]]を破って優勝を果たした。
 
コーチ通算成績は1213試合、649勝564敗、勝率.533。16シーズンのキャリアで勝ち越したシーズンは9シーズン、プレーオフ出場は11シーズンだった。1964年には当時不振に陥っていたウォリアーズの再興に成功し、[[NBA最優秀コーチ賞|最優秀コーチ賞]]を受賞。オークスを大躍進に導いた1969年にはABAの最優秀コーチ賞を受賞した。
 
===チェンバレンとの関係===
ハナムのコーチキャリアの中で最も大きな仕事はフィラデルフィア・76ersを優勝に導いたことである。これは伝説的な八連覇時代として知られる王者セルティックスを破っての優勝であり、76ersにとってもリーグにとっても非常に価値のある優勝だった。当時の76ersの中心選手、[[ウィルト・チェンバレン]]は過去に何度もセルティックスの前に優勝の夢を打ち砕かれてきた経緯があり、チェンバレンにとっても念願の優勝となった。そのチェンバレンとハナムの関係は、サンフランシスコ・ウォリアーズ時代まで遡る。
 
プレーオフでは地区決勝でついに、この8年間どのチームもなし得なかった打倒セルティックスをやってのけ、ファイナルに進出。ファイナルの相手は皮肉にもウォリアーズだったが、76ersはウォリアーズを破って優勝を果たした。初めて優勝の味を知ったチェンバレンは以後急速に得点への拘りを捨てるようになり、レイカーズに移籍し、ハナムの指揮下を離れた後も、ディフェンスとリバウンドに専念するようになった。
 
==業績・その他==
*彼が指導した選手には[[ボブ・ペティット]]、[[リック・バリー]]、[[ウィルト・チェンバレン]]、[[クリフ・ヘイガン]]、[[エド・マコーレー]]、[[スレーター・マーティン]]、[[ドルフ・シェイズ]]、[[ネイト・サーモンド]]、[[ビリー・カニンガム]]、[[ハル・グリア]]、[[エルヴィン・ヘイズ]]、[[カルヴィン・マーフィー]]と、計12人の殿堂入り選手が含まれている。
**ABA最優秀コーチ賞 1969年
**[[バスケットボール殿堂]]
 
==外部リンク==
*[http://www.basketball-reference.com/coaches/hannual01c.html コーチ成績]
[[Category:アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手]]
[[Category:シラキュース・ナショナルズの選手]]
[[Category:ボルチモア・ブレッツ (1944-195454) の選手]]
[[Category:ロチェスター・ロイヤルズの選手]]
[[Category:ミルウォーキー・ホークスの選手]]