「英照皇太后」の版間の差分

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== 生涯 ==
父は[[九条尚忠]]、母は[[賀茂神社]]氏人・[[南大路長尹]]の娘・菅山。[[九条道孝]]の実姉、[[貞明皇后]]の伯母にあたる。その為、[[昭和天皇]]から見れば、義理の曾祖母であり血縁上の大伯母。[[明仁|上皇]]からみれば義理の高祖母、血縁上の[[高祖伯母]]ともなる。名は初め「基君(のりきみ)」。
 
[[山城国]][[愛宕郡]]下鴨村(現:[[京都市]][[左京区]]下鴨)の[[南大路家]]で誕生し、[[弘化]]2年([[1845年]])[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]、12歳の時に、3歳年上の[[東宮]]・統仁親王(のちの[[孝明天皇]])の妃となる。結婚翌年には孝明天皇が[[即位]]し、[[嘉永]]元年([[1848年]])[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]に[[従三位]]に叙され、[[12月15日 (旧暦)|同月15日]]に入内して[[女御]]宣下を被る。孝明天皇は夙子の立后を望んだが、先ず[[准后|准三宮]]に叙すべしという[[江戸幕府|幕府]]の反対にあい、嘉永6年([[1853年]])[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]、夙子は[[正三位]]・准三宮に上る。