「渥美清」の版間の差分

[[1951年]]、東京[[浅草六区]]の[[ストリップ (性風俗)|ストリップ]]劇場「百万弗劇場」(建物[[疎開]]した[[観音劇場]]の跡)の専属コメディアンとなる。2年後の[[1953年]]には、[[フランス座]]へ移籍。この頃のフランス座は、[[長門勇]]、[[東八郎]]、[[関敬六]]など後に第一線で活躍するコメディアンたちが在籍し、コント作家として[[井上ひさし]]が出入りしていた。またこの頃、浅草の銭湯で、のちにシナリオライターとなる[[早坂暁]](当時は大学生)と知り合い、生涯の親友となる(後述参照)。[[1954年]]、[[肺結核]]で右肺を切除し[[サナトリウム]]で約2年間の療養生活を送る。このサナトリウムでの療養体験が後の[[人生観]]に多大な影響を与えたと言われている。右肺を無くしたことでそれまでのドタバタ喜劇ができなくなった。また、復帰後すぐに今度は胃腸を患い中野の[[立正佼成会附属佼成病院|立正佼成会病院]]に1年近く入院する。再復帰後は酒や煙草、コーヒーさえも一切やらなくなり過剰な程の摂生に努めた。
 
[[1956年]]にテレビデビューし、[[1958年]]に『おトラさん大繁盛』で映画にデビュー。[[1959年]]にはストリップ小屋時代からの盟友である谷幹一・[[関敬六]]と[[スリーポケッツ]]を結成。しかし、数ヵ月後には脱退している。[[1961年]]から[[1966年]]までNHKで放映された『[[夢であいましょう]]』、『[[若い季節 (テレビドラマ)|若い季節]]』に出演。コメディアン・渥美清の名を全国区にした。[[1962年]]公開の映画『あいつばかりが何故もてる』にて映画初[[主演]]を務める。同年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]連続ドラマ『[[大番]]』でのギューちゃん役がうける。同年、ヤクザ(フーテン)役で出演した『おったまげ人魚物語』のロケの際、海に飛び込むシーンでは右肺切除の影響から飛び込むことができず、唯一代役を立てたシーンとも言われている。当時、複数の映画が同じ地域で撮影を行っており、この時の撮影現場では、映画『[[切腹 (映画)|切腹]]』([[仲代達矢]]、[[岩下志麻]]、[[丹波哲郎]]、[[三國連太郎]])の撮影現場の宿に泊まり、同宿した多くの俳優や監督と接することとなる。[[1963年]]の[[野村芳太郎]]監督の映画『[[拝啓天皇陛下様]]』で「片仮名しか書けず、軍隊を天国と信じてやまない純朴な男」を演じ、俳優としての名声を確立する。この作品がフジテレビの関係者の評判を得て「男はつらいよ」の構想が練られた。[[1965年]]公開の、[[羽仁進]]監督の『[[ブワナ・トシの歌]]』では[[アフリカ]]各地で4ヶ月間に及ぶ長期ロケを敢行。この撮影以降、[[アフリカ]]の魅力に取り付かれプライベート旅行で何度も訪れるようになる。「男はつらいよ」のイメージからはうかがえないが、最初は[[松竹]]より[[東映]]の方が渥美喜劇の売り出しに熱心で<ref name="キネ旬19969" >{{Cite journal | 和書 | author = 石坂昌三 |date = 1996年9月下旬号 | title = 評伝・渥美清 『寅さん』渥美清の軌跡 | journal = [[キネマ旬報]] | page = 65 }}</ref>、東映で"[[喜劇]]路線"を敷こうとした<!---<ref name="悔いなき" >{{Cite book | 和書 | title = 悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年 | author = [[岡田茂 (東映)|岡田茂]] | publisher = 財界研究所 | year = 2001 | id = ISBN 4-87932-016-1 | pages = 145-146 }}</ref>---><ref>{{Cite journal | 和書 | author = [[富司純子]]他 | date = 2011年8月号 | title = 鎮魂、映画の昭和 <small>岡田茂他</small> | journal = [[映画芸術]] | volume = | publisher = 編集プロダクション映芸 | page = 132 }}</ref>[[岡田茂 (東映)|岡田茂]][[映画プロデューサー|プロデューサー]](のち、東映社長)に引き抜かれ<ref name="悔いなき" >{{Cite book | 和書 | title = 悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年 | author = [[岡田茂 (東映)|岡田茂]] | publisher = 財界研究所 | year = 2001 | id = ISBN 4-87932-016-1 | pages = 145-146 }}</ref><ref>[http://archive.is/ydXUe 引き抜き、タイトル付け、リストラ…岡田茂氏「伝説」の数々 スポーツ報知2011年5月10日(archive)]</ref>、岡田が登用した<!---<ref name="悔いなき" />--->[[瀬川昌治]]監督の『[[喜劇急行列車]]』([[1967年]])他「喜劇列車シリーズ」などに主演した<ref name="悔いなき" /><ref>{{Cite book | 和書 | title = 素晴らしき哉 映画人生! | author = [[瀬川昌治]] | publisher = [[清流出版]] | year = 2012 | id = ISBN 978-4-86029-380-2 | pages = 167-168、172-173頁 }}</ref><ref>[http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_181116.php 瀬川昌治と喜劇役者たち〜エノケンからたけしまで - flowerwild.net ──瀬川昌治インタビュー vol.2]</ref>。東映とは水が合わなかったが<ref name="キネ旬19969" />、東映での出演作としては[[時代小説#股旅物|股旅]][[日本映画|映画]]の最高傑作ともいわれる<ref>{{Cite book | 和書 | title = ぴあシネマクラブ 邦画編 1998-1999 | author = | publisher = [[ぴあ]] | year = 1998 | id = ISBN 4-89215-904-2 | page = 240 }}</ref>『[[沓掛時次郎 遊侠一匹]]』([[加藤泰]]監督、[[1966年]])の身延の朝吉役は名演として知られる<ref name="キネ旬19969" /><ref>{{Cite book | 和書 | title = 日本映画人名事典 男優篇〈上巻〉 | author = | publisher = キネマ旬報社 | year = 1996 | id = ISBN 4-87376-188-3 | page = 51 }}{{Cite book | 和書 | title = 鈴木尚之 人とシナリオ | author = [[日本シナリオ作家協会]] [[鈴木尚之]] 人とシナリオ出版委員会 | publisher = 日本シナリオ作家協会 | year = 1998 | id = ISBN 4-915048-08-X | pages = 30-31 }}{{Cite book | 和書 | title = にっぽん脚本家クロニクル | chapter = 掛札昌裕 | author = [[桂千穂]] | publisher = [[青人社]] | year = 1996 | id = ISBN 4-88296-801-0 | page = 735 }}</ref>。この時期の主演作品としては他に、[[TBSテレビ|TBS]]のテレビドラマ『[[渥美清の泣いてたまるか]]』(1966年)などがある。
 
=== 車寅次郎 ===
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