「西本願寺本三十六人家集」の版間の差分

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== [[#後述|後世]]の散逸状況 ==
この下賜の時点では、38帖完存していたらしいが、その後ほどなく一部が散逸していったとみられる。人麻呂集と業平集は分割され、それぞれ「室町切」「尾形切」と呼ばれている。室町切は、手鑑『藻塩草』([[京都国立博物館]]蔵<ref>[http://www.emuseum.jp/detail/101051/133/000?d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E8%A1%8C%E6%88%90&class=&title=&c_e=&region=&era=&cptype=&owner=&pos=9&num=-6&mode=simple&century= 京都国立博物館蔵「室町切」]</ref>)と手鑑『大手鑑』([[陽明文庫]]蔵、共に国宝)に所載する2葉のみである。尾形切は15葉ほど現存し、[[根津美術館]]<ref>[http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=00004 根津美術館蔵「尾形切」]</ref>、[[東京国立博物館]]<ref>[http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0054788 東京国立博物館蔵「尾形切」]</ref>、[[政秀寺]]などに分蔵。順集からは古い時代に切り取りがあり、11葉が各所に所蔵されている。重ね継ぎや散らし書きがあるものを糟色紙、ないものを岡寺切と呼んでいる。仲文集からも1葉切り取りがある。
 
[[伊勢 (歌人)|伊勢]]集と貫之集下は、昭和4年(1929年)に冊子の形を解体して一葉ずつの断簡に分割された。これは宗教女子大学(現在の[[武蔵野大学]])設立の資金に当てるために、[[大谷光瑞]]が[[益田孝|益田鈍翁]]らの助言を得て実行された<ref name="kinoshita" />。これらの断簡は、[[後奈良天皇]]から下賜しされた当時、本願寺が[[本願寺の歴史#中興の祖・蓮如|大阪石山]]の地にあった事にちなんで、鈍翁が「石山切」(いしやまぎれ)と名付けた。両帖合わせて三百数十頁あるものを32組に分け、1組約10枚2万円で売却されたという<ref>飯島(1976)p.24。</ref>。現在は掛軸などに改装されて、各地の美術館や収集家に分蔵されている。