「ポール・マーティン (日本刀研究家)」の版間の差分

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イギリスで生まれイーストロンドンで育つ。父はイギリスの[[空手]]の父と呼ばれる[[:en:Vernon Bell|バーノン・ベル]]に師事した[[空手家]]で、ポール自身は父から空手を習い、1990年代に3度軽量の部のチャンピオンとなり、20代後半の時にナショナルチームのメンバーに選出された<ref name="jt131004">[https://web.archive.org/web/20190107142044/https://www.japantimes.co.jp/community/2013/10/04/our-lives/passion-for-swords-led-briton-to-forge-expert-career/ Passion for swords led Briton to forge career as expert] [[ジャパンタイムズ]] 2013年10月4日</ref>。
 
その後[[大英博物館]]の[[警備員]]として職を得ると日本の古美術に興味を持つようになり[[学芸員]]への異動を申し出た。[[日本語]]を熱心に勉強するなどのポールの熱意が認められて、日本部門の欠員が出たことをきっかけに人事部長により規則が変更され、大英博物館では初となる警備員から学芸員への転向に成功した。ほどなく刀剣・[[甲冑]]類の担当となると日本刀に強く惹かれるようになり、大英博物館所蔵品の日本への貸し出し業務のために来日した際には、休暇を利用して[[東京国立博物館]]や[[熱田神宮]]などに刀剣を鑑賞しに出かけた。この際、ポールの熱心さに打たれて、刀剣にまつわる様々な話を聞いたり直接見せてもらえる機会も得た。ポールが日本部門の学芸員に移動してから5年後、大英博物館は不況のために日本部門を縮小することを決定し、ポールはこれを機に退職した<ref name="jt131004"/>。
 
その後、フリーランスとなり、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ロサンゼルス]]にある[[:en:USC Pacific Asia Museum|パシフィックアジア美術館]]での日本刀展での責任者を務めたほか、2004年には日本に移住し、[[林原美術館]]や全日本刀匠会での翻訳業務を担当した。2006年に日本で開催された刀剣鑑定会では、5振りの日本刀の作者を正答して外国人としては初優勝した。2009年に[[カリフォルニア大学バークレー校]]の留学生向けプログラムに[[修士]]課程での入学が許可され、大学では[[剣道]]の指導者としても活動した<ref name="jt131004"/>。