「糸川英夫」の版間の差分

1956年、[[日本ロケット協会]]を創立し、初代代表幹事に就任した。
 
1967年、東大を退官し組織工学研究所を設立。これを機に宇宙開発の前線から去った。退官を決めた理由は、友人の[[桶谷繁雄]]によると、東大方式の人工衛星打ち上げに否定的であった[[朝日新聞]]が糸川は研究費を誤魔化し妾を囲っているなどの誹謗記事を掲載し、税金の無駄であると連日書き立て嫌気がさしたためと言われる<ref name=oketani>[https://www.wakei.org/library/data/kouen/pdf_files/4016.pdf 桶谷繁雄、昭和47年10月5日講演録「公害報道について」]和敬塾五十年の歩みとこれから、和敬塾</ref>(以上のようにして朝日新聞バッシングに繋げる向きがあるが、実態については[[ラムダロケット#成果の曖昧さ]]などを参照)
 
著書『逆転の発想』はベストセラーになる。1975年、ライターグループ「未来捜査局」と共に、日本の将来(20年後の1990年代)を予測した小説『ケースD ―見えない洪水―』を発表(「D」は“最悪のパターン”を意味する)。