「少弐資時」の版間の差分

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==関連史跡==
*[['''少弐資時]]の墓'''(壱岐市芦辺町)
:元寇の二度目の襲来である[[弘安の役]][[蒙古]]・[[高麗]]連合の東路軍が[[対馬]]を襲い、次いで壱岐に攻め込んで来た([[1281年]])。元・高麗連合軍を迎え撃った当時の壱岐守護代少貳資時は、[[船匿城]](ふなかくしじょう)で全滅戦死した少弐資時の墓が、壱岐神社近くの少貳公園の松林の中に資時ある。そ墓があり、周辺には、元寇の戦艦と思われる[[碇]](いかり)石、急を知らせる防人の[[狼煙]](のろし)台やがある。
 
== 脚注 ==