「明眼院」の版間の差分

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{{いつ範囲|date=2014年5月|その頃}}、明眼院に治療に訪れた[[キリシタン]]が[[江戸幕府|幕府]]や[[尾張藩]]の迫害を逃れていわゆる「キリシタン[[灯籠]]」を寄贈した。円慶らはその真意を悟ったものの、困窮するものを見捨てられないとして密かに安置することを許してこのことは[[明治維新]]まで寺の極秘とされていた。後に住持[[円海]]が[[桜町天皇]]の皇女の治療にあたったことから、明眼院の住持を[[権大僧正]]に任じた。
 
こうして、同院の名声は広まって全国各地から診察を求める患者が来訪し、[[大名]]の[[小堀政一]](遠州)や[[画家]]の[[円山応挙]]、[[国学者]]の[[本居春庭]]([[本居宣長|宣長]]の嫡男)なども同院で治療を受けたとされている。また尾張藩からも寺領として36石が与えられていた。[[File:Majimamyogenin_Owarimeishozue.jpg|thumb|700px|『[[尾張名所図会]]』に天保9年([[1838年]])同12年([[1842年]])ごろ描かれた明眼院。広い境内に治療施設患者の居住施設があるのが見て取れる]]
 
28世・円如は[[天保]]年間([[1830年]] - [[1844年]])初期に[[長崎]]に遊学して[[蘭学|オランダの医学]]を学び、治療に取り入れるなどしたという{{sfn|大治町史編集委員会|1979|p=567}}。