「校倉造」の版間の差分

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[[File:Shosin-shouso.jpg|thumb|350px|正倉院正倉]]
か[[近世|世]]上げた外壁が特徴である。
'''校倉造'''(あぜくらづくり)は、[[古代]]から[[近世]]にかけての[[日本]]で建てられた、伝統的な[[倉庫]]の建築様式である。 主に[[寺院]]や[[神社]]において[[宝|宝物]]や[[経典]]などを納める倉庫に用いられた。高床式で、校木(あぜぎ)と呼ばれる木材を井桁に組んで積み上げた外壁が特徴である。
 
== 歴史 ==
[[File:Panic when the bowl slips out.jpg|thumb|『[[信貴山縁起]]』「山崎長者の巻」に描かれた校倉造の倉(左)]]
校倉造の成立年代は不明であるが、[[関野貞]]は『[[日本書紀]]』の[[雄略天皇]]条にみえる「朝倉の木の丸殿」が原型で、「あさくら」が「あぜくら」に転訛したという説を採っている{{sfn|石田茂作|1951|p=1-8}}。また成り立ちについては、[[高床式倉庫]]から発展したとする説と大陸から渡来したとみる説があるが、[[律令制]]と共に普及したことから渡来した建築様式と考えられる{{sfn|富山博|1973|p=69}}。なお、[[中華人民共和国|中国]]の[[華南]]の[[貴州省|貴州]]・[[雲南省|雲南]]方面と、[[中国東北部|東北]]から[[高句麗|百濟]]に至る[[渤海 (海域)|渤海]]周辺には類似した遺構がある。ただしこれらは校木が丸太であったと考えられ、断面が特異な形状になったのは日本独自の変化と考えられる{{sfn|富山博|1974b|p=42-43}}。
 
律令制において租税の徴収は重要な制度で、集められた租税は[[正倉]]<ref group="注釈">当時は「おおくら」と読んだ。</ref>に納められた。そのなかでも主に稲穂(穎・えい)を納めた'''甲倉'''と記載される倉庫がある。 甲は「甲=第一」という説、外壁形状から「甲=よろい状」という説、校木の「断面が亀甲」であったことによるとする説などがあるが、いずれにせよ特殊な形状の校木倉を指すと考えられ、これがのちに校倉と呼ばれるようになったと考えられる{{sfn|富山博|1974b|p=37}}。「校倉」の名称が確認できるもっとも古い文献資料は『[[和名類聚抄]]』の「校倉、蔵穀物也、阿世久良」とされる{{sfn|石田茂作|1951|p=1-8}}。