「三好宗渭」の版間の差分

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[[三好三人衆]]の一人であり、父の死後、[[細川晴元]]の家臣として[[三好長慶]]と戦ったこともあるが、やがて長慶に臣従して、その家臣となり、有能な前線指揮官として活動した。
 
三好長慶の勢力拡大に貢献し、[[1555年]]の[[丹波国|丹波]]攻めや[[1562年]]の[[畠山高政]]攻めのいずれにも参陣して武功を著している。長慶の死後は[[松永久秀]]や他の三人衆とともに[[永禄の変]]を起こして対立する13代将軍[[足利義輝]]暗殺事件共謀倒し、義輝の従弟の足利義栄を14代将軍に擁立て行なったが、やがて久秀と対立して抗争する。[[織田信長]]が上洛してくると他の三人衆とともに共同して織田軍と戦ったが、敗れて退き、動向が不明となった。
 
そして、信長に敗れて動向がわからなくなってから約5年の歳月が流れた後、天下人であった[[豊臣秀吉]]の家臣として再びその動向が明らかになる。秀吉が死去し、天下が[[徳川家康]]にわたると多くの豊臣家家臣が退去する中で、秀吉の子である[[豊臣秀頼]]にも仕えつづけ、[[1615年]]、[[大坂の役|大坂の陣]]にも87歳の高齢ながら参加。あえなく戦死した。
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