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'''ビリー・ジーン・キング・カップ'''(Billie Jean King Cup)は、[[1963年]]から開催されている女子[[テニス]]の国別対抗戦である。男子の[[デビスカップ]]に相当する。[[1963年]]の[[国際テニス連盟]](International Tennis ''Federation'')設立50周年を記念して、第1回大会が行われた。最初の名称は「連盟」の名前を取って「'''フェデレーション・カップ'''」(Federation Cup)といったが、[[1995年]]から「'''フェドカップ'''」に変更された。ITFは2020年9月に伝説的女子テニスプレーヤー[[ビリー・ジーン・キング]]を称えて現名称に変更<ref>{{cite news |url=https://www.nytimes.com/2020/09/17/sports/tennis/billie-jean-king-renamed-fed-cup.html |title=In a Fitting Tribute, the Fed Cup Is Renamed After Billie Jean King |work=[[The New York Times]] |first=Christopher |last=Clarey |date=September 17, 2020 |url-access=registration |archive-url=https://web.archive.org/web/20200917121017/https://www.nytimes.com/2020/09/17/sports/tennis/billie-jean-king-renamed-fed-cup.html |archive-date=September 17, 2020 |access-date=September 23, 2020}}</ref><ref>{{cite web |url=https://www.billiejeankingcup.com/en/help/about-us.aspx |title=About Us |website=BillieJeanKingCup.com |access-date=September 23, 2020 |archive-date=September 23, 2020 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200923071850/https://www.billiejeankingcup.com/en/help/about-us.aspx |url-status=live }}</ref> 。[[BNPパリバ]]・ビリー・ジーン・キング・カップ(''Billie Jean King Cup by BNP Paribas'')として開催されている。
 
== 歴史 ==
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* [[1985年]] フェデレーション・カップが2度目の日本誘致。この時は[[愛知県]]の「[[名古屋グリーンクラブ]]」で行われる。
* [[1989年]] フェデレーション・カップが3度目の日本誘致。この時は[[東京]]の[[有明コロシアム]]で行われた。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・チームが2年連続14度目の優勝を飾ったが、[[クリス・エバート]]の現役最後の試合がこのフェデレーション・カップであった。
* [[1991年]] この年のフェデレーション・カップで、当時の女子テニス界のトップ選手であった3名が各国の代表選手を辞退する。[[モニカ・セレシュ]]([[ユーゴスラビア]]代表、当時最年少世界ランキング1位になったばかり)、[[ガブリエラ・サバティーニ]]([[アルゼンチン]]代表、[[1988年ソウルオリンピック|ソウル五輪]]銀メダリスト)、[[マルチナ・ナブラチロワ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]]代表)の3選手に対して、国際テニス連盟は翌[[1992年バルセロナオリンピック|92年バルセロナ五輪]]の出場を禁止する措置を発表した。ここで重視された論点は「国の代表選手」としての役割である。オリンピック代表選手がこの役割を担う以上、自国の代表としてフェデレーション・カップへの出場を拒否する選手は、五輪代表にはふさわしくないのである。この年のフェデレーション・カップが今後の型となり、テニスにおけるオリンピック代表選手の選考資格に「フェドカップの代表選手であること」が必須事項の1つとなった。この年の優勝チームは[[スペイン]]で、[[アランチャ・サンチェス]]と[[コンチタ・マルチネス]]のコンビが女子団体戦に君臨し始める
* [[1992年]] [[ドイツ]]・チームが5年ぶり2度目の優勝。[[1990年]][[10月3日]]に実現した東西ドイツ再統一により、この時は「統一ドイツ代表」となっていた。[[シュテフィ・グラフ]]と[[アンケ・フーバー]]の2人を軸にして得た優勝だったが、これ以後ドイツはフェドカップの優勝から遠ざかっている。
* [[1993年]]から[[1995年]]まで、[[スペイン]]・チームが大会3連覇を達成する。
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* {{PDFlink|[http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/fedcup/data/sensekito1994.pdf 日本のフェドカップ戦績表]}}([[1994年]]まで)
 
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