「伊藤博文 (棋士)」の版間の差分

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1987年、第37回[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯戦]]で予選を勝ち抜き、本戦初出場。第48回(1998年)、第56回(2006年)でも本戦出場。
 
[[順位戦]]C級2組では初参加(1985年度・第44期)から5年間は24勝26敗のほぼ五分五分の成績を挙げるも、[[第49期順位戦|第49期(1990年度)]][[第50期順位戦|第50期]]に2年連続で[[順位戦#降級点|降級点]]を喫する。[[第51期順位戦|第51期(1992年度)]]は6勝4敗で勝ち越し、降級点を1つに戻す。[[第52期順位戦|第52期]]には8勝2敗・6位の成績を収め、これが伊藤にとって順位戦における最高成績となった。[[第55期順位戦|第55期(1996年度)]][[第57期順位戦|第57期(1998年度)]]に降級点を喫して累計3点となり、[[順位戦#フリークラス|フリークラス]]に降級。
 
[[2001年]][[5月29日]]に順位戦復帰条件の一つである勝率の規定を満たし、C級2組へ復帰が決定。フリークラスからC級2組への昇格は[[伊奈祐介]]に次ぎ2例目<ref>{{Cite web|url=https://www.shogi.or.jp/news/2011/01/post_369.html|title=吉田正和四段、フリークラスからC級2組へ昇級|将棋ニュース|日本将棋連盟|publisher=[[日本将棋連盟]]|date=2011-01-20|accessdate=2019-06-08}}</ref>であるが、'''フリークラスへ降級後のC級2組復帰は史上初'''。
 
しかしながら、復帰後すぐの[[第61期順位戦|第61期(2002年度)]][[第62期順位戦|第62期(2003年度)]]に2年連続で降級点を取ったところで、[[2004年]]4月にフリークラス宣言によるフリークラス転出をした。
 
[[竜王戦]]は、第1期で5組からのスタート、以降、昇級も降級もない状態がしばらく続いたが、第20期(2007年度)に残留決定戦で敗れて6組降級。