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== 経歴 ==
===教育・職業===
[[画像:2017-03-06 Wohnhaus von Thomas Bach von 1953 bis 1977 am Sonnenplatz in Tauberbischofsheim - 2.jpeg|thumb|1953年から1977年まで過ごしたタウバービショーフスハイム([[:de:Tauberbischofsheim|de]])市内、ゾンネンプラッツ広場の住居に掲げられた説明板]]
 
[[西ドイツ]](のちの[[ドイツ]])の[[バイエルン州]][[ヴュルツブルク]]出身。ヴュルツブルクに近い[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]のタウバービショーフスハイム([[:de:Tauberbischofsheim|de]])で育ち、両親の元、同市のゾンネンプラッツ(Sonnenplatz)で1977年まで暮らした。1972年、同地のマティアス・グリューネヴァルト・ギムナジウム(高校に相当)を卒業し<ref>MGG TBB: [https://web.archive.org/web/20150518082556/http://www.mgg-tbb.de/?q=node%2F235 Fechterfolge der Schüler / ehemaligen Schüler am MGG]. (Nicht mehr online verfügbar.) MGG TBB, archiviert vom [https://tools.wmflabs.org/giftbot/deref.fcgi?url=http%3A%2F%2Fwww.mgg-tbb.de%2F%3Fq%3Dnode%2F235 Original] am 18. Mai 2015; abgerufen am 9. April 2015.</ref>、1973年から1979年まで[[ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク|ヴュルツブルク大学]][[法学部]]で[[法律]]・政治学を学んだ。1979年、第一次国家試験(司法試験)を通過して卒業した。主に[[ドイツ連邦議会]]での司法研修期間を終えて1982年、第二次国家試験(司法試験)に合格し、1983年、博士論文「連邦憲法裁判所の裁判における予測の影響」(Der Einfluss von Prognosen auf die Rechtsprechung des Bundesverfassungsgerichts)で博士号(法学)を取得した。続いて、タウバービショーフスハイムに自身の弁護士事務所を開設した。
 
1985年、[[アディダス]](スポーツ用品)執行役会会長のホルスト・ダスラーに誘われ、同社の国際関係部局の責任者。1988年から1990年まで、連邦経済大臣の中産層顧問団の調整役を務めた。1995年からフィリップ・ホルツマン株式会社(建設コンツェルン)の顧問<ref>[http://www.spiegel.de/spiegel/vorab/a-56059.html Personelle Konsequenzen und Verbindungen bei Holzmann]. In: Der Spiegel (Vorabversion aus Ausgabe 50/1999). 11. Dezember 1999, abgerufen am 20. Dezember 2014.</ref>。1998年、タウバービショーフスハイムのミヒャエル・ヴァイニッヒ株式会社(工作機械)の監査役会会長に就任。2000年から2008年まで、[[ジーメンス]](電機)の顧問。2000年から2009年まで、ジーメンス・スイスの取締役会構成員<ref>Hans Leyendecker, Klaus Ott: [http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/aus-fuer-den-ioc-vize-siemens-und-bach-trennen-sich-1.190979 Siemens und Bach trennen sich]. In: Süddeutsche Zeitung. 27. Juni 2008, abgerufen am 10. Oktober 2012.</ref>。産業コンサルタントのヴィルヘルム・シェルスキーより政府人脈を買われてジーメンスの執行役会に推薦された<ref>Fürsorgliche Belagerung. In: Der Spiegel. Nr. 17, 2008 ([https://www.spiegel.de/spiegel/print/d-56670307.html online]).</ref>。2005年から2009年まで、MANフェロスタール有限会社(鉄鋼)の顧問<ref>[http://www.spiegel.de/sport/sonst/thomas-bach-ioc-praesident-hatte-weiteren-berater-vertrag-a-1142251.html Thomas Bach hatte weiteren Berater-Vertrag]. In: Spiegel Online. 7. April 2017, abgerufen am 9. Juni 2017.</ref>。2008年から2013年まで、メリウス有限会社の諮問委員会委員長となり、投資会社「クウェイティ・ジャーマン・ホールディング・カンパニー」の子会社としてドイツ国内の活動を担った。2009年から2013年まで、ニュルンベルク保険株式会社オーストリアの監査役会構成員、バルテック有限会社(産業保安技術)の諮問委員会委員<ref>[https://web.archive.org/web/20140210175442/http://www.dosb.de/fileadmin/Bilder_allgemein/Praesidium/lebenslauf_bach_thomas_deutsch.pdf Vita Thomas Bach]. (Memento vom 10. Februar 2014 im Internet Archive) dosb.de</ref><ref>[http://www.spiegel.de/sport/sonst/neuer-ioc-praesident-bach-legt-diverse-funktionen-nieder-a-922500.html Neuer IOC-Präsident Bach legt bisherige Ämter nieder]. In: Spiegel Online. 16. September 2013, abgerufen am 20. Dezember 2014.</ref>。
 
2006年5月、ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会議所(Ghorfa Arab-German Chamber of Commerce and Industry)の会長に就任。IOC会長の就任後に辞任した。
 
母語の[[ドイツ語]]の他、[[スペイン語]]・[[フランス語]]・[[英語]]に堪能<ref>[https://archive.today/20130911043902/http://www.stern.de/sport/kurzportraets-der-sechs-ioc-praesidentschaftskandidaten-2056400.html Kurzporträts der sechs IOC-Präsidentschaftskandidaten, auf stern.de vom 9. September 2013] (Memento vom 11. September 2013 im Webarchiv archive.today)</ref>。
 
===フェンシング選手の経歴===
1970年代、タウバービショーフスハイムのフェンシングクラブに所属し、フルーレの選手として活動した。1971年、世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得。1973年、フェンシング世界選手権にフルーレ団体で出場し、準優勝。1976年、[[1976年モントリオールオリンピック|モントリオールオリンピック]]の[[フェンシング]]フルーレ団体で西ドイツチームの一員として金メダルを獲得し、同時に世界選手権優勝となった<ref>オリンピック開催年の特例としてオリンピックの成績が世界選手権を兼ねるため。[http://ard.ndr.de/london2012/sportarten/fechten143.html Fechten: Historie und Regeln]</ref>。1977年、世界選手権のフルーレ団体で優勝。1978年、ドイツ選手権のフルーレ個人で優勝。同年、フルーレ団体のヨーロッパ・チャンピオンズカップで優勝。1979年、[[メルボルン]]の世界選手権にフルーレ団体で出場し、銅メダルを獲得した。
 
===スポーツ団体の職歴===
早くからスポーツ関連の職を手がけており、1975年から1979年まで、西ドイツ・フェンシング連盟(DFB)のスポークスマンを務めた。1981年、IOCに新設されたアスリート委員会の委員。1982年、西ドイツ(後のドイツ)・オリンピック委員会の委員に就任。
 
[[1991年]]にIOC委員となり、ドイツ・オリンピック委員会の職を辞任した。1995年、[[スポーツ仲裁裁判所]]の控訴部の代表者に任命された。[[1996年]]にIOCの理事に就任。[[2002年ソルトレイクシティオリンピック|2002年冬季オリンピック]]開催地の決定([[ソルトレークシティ]])と[[2004年アテネオリンピック|2004年夏季オリンピック]]開催地の決定([[アテネ]])に際しては評価委員会の委員長を務めていた。[[2000年]] - [[2004年]]と[[2006年]] - [[2013年]]は副会長を務めた。すなわち、まず、2000年の[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]に際して開かれた第111次IOC総会で、IOC副会長に選出され(ドイツからは史上3人目)<ref name=sueddeutsche>Thomas Kistner, Klaus Ott: [http://www.sueddeutsche.de/sport/sportpolitik-heikle-details-1.183012 Heikle Details]. In: Süddeutsche Zeitung. 26. April 2008, abgerufen am 13. Oktober 2012.</ref>、輪番制により2004年8月、この職を離れたが、続いて2006年、[[2006年トリノオリンピック|トリノ冬季オリンピック]]に際してのIOC総会で副会長に再選され、当時の[[ジャック・ロゲ|ジャック・ロゲ会長]]の有力な後任候補となった<ref>Evi Simeoni: [http://www.faz.net/aktuell/sport/sportpolitik/thomas-bach-finte-und-kerzengerader-ausfall-1329326.html Finte und kerzengerader Ausfall]. In: Frankfurter Allgemeine Zeitung. 19. Mai 2006, abgerufen am 13. Oktober 2012.</ref>。
 
2006年5月、ドイツスポーツ連盟(DSB)とドイツ・オリンピック委員会(DOK)の合併により新設されたドイツ・オリンピック・スポーツ連盟(DOSB)から名誉会長に任命されたが<ref name=sueddeutsche />、IOC会長就任後の2013年9月16日、辞任した<ref>[https://web.archive.org/web/20160304043405/http://newsletter.dosb.de/newsletter/newsletter.php?id=4406&html=1 Thomas Bach als DOSB-Präsident zurückgetreten - Hans-Peter Krämer übernimmt Amtsgeschäfte bis zur Neuwahl] (Memento vom 4. März 2016 im Internet Archive)</ref>。
 
複数のIOC委員会で委員長を務めたほか、2006年、地元ドイツで開催された[[2006 FIFAワールドカップ|サッカー・ワールドカップ]]では組織委員会の監査役会の構成員。2011年、[[2011 FIFA女子ワールドカップ|女子サッカーのワールドカップ]]では組織委員会の管財委員会の委員を務めた。
 
[[2013年]][[9月10日]]に[[アルゼンチン]]の[[ブエノスアイレス]]で行われた[[第125次IOC総会]]で、[[ジャック・ロゲ]]の後任として第9代IOC会長に選出された<ref>[http://japanese.ruvr.ru/2013_09_12/121261967/ IOC新会長にトーマス・バッハ氏] [[ロシアの声]](日本語版) 2013年9月12日閲覧</ref>。その際に[[クウェート]]の政治家でスポーツ団体役員のアフマド・アルファハド・アルサバ―([[:en:Ahmed Al-Fahad Al-Ahmed Al-Sabah|en]])が有力支援者となっていたことから、会長選挙の直前になってIOC倫理委員会の調査が入った<ref>Grit Hartmann: [http://www.zeit.de/sport/2013-09/bach-al-sabah-ioc-vizer Der Scheich der Ringe]. In: Die Zeit. 11. September 2013, abgerufen am 20. Dezember 2014.</ref><ref>Johannes Aumüller, Thomas Kistner: [http://www.sueddeutsche.de/sport/ioc-praesidentschaftskandidat-thomas-bach-favorit-in-der-bredouille-1.1760175 Favorit in der Bredouille]. In: Süddeutsche Zeitung. 2. September 2013, abgerufen am 20. Dezember 2014.</ref>。
 
[[2016年]][[10月20日]]に、[[筑波大学]]で講演した折に筑波大学の名誉博士号が授与された<ref name="tokyo20161020" />。
 
==政治活動==
[[自由民主党 (ドイツ)|ドイツ自由民主党]](FDP)の党員。バーデン=ヴュルテンベルク州議会のFDP・[[民主人民党 (ドイツ)|民主人民党]](DVP)会派の推薦により、[[連邦会議 (ドイツ)|第14回連邦会議]](=[[連邦大統領 (ドイツ)|2010年連邦大統領選出会議]])の議員を務めた。
 
== 功績 ==
自身が推進してきた『オリンピック・アジェンダ2020』は、世界中から寄せられた4万件以上のオリンピックに対する意見を40項目に集約したもの。2014年12月のIOC臨時総会で、この40の改革案すべてが満場一致で採択された<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20160304191053/http://tvstation.jp/sport/olympic-verification/6578/|title = 2020年東京オリンピックでの追加競技は?|publisher = tvstation.jp |date = |accessdate = 2019-11-01}}</ref>。このアジェンダに基づき追加種目制度、男女混合種目の増加、女子種目の増加、複数都市共催大会([[2026年冬季オリンピック|2026年冬ミラノ/コルティナ・ダンペッツォオリンピック]])開催決定と実績を上げている。アジェンダには脱コンパクト五輪である「主催都市ではない他の都市への分散開催を、開催国家の中で可能とする」アジェンダが含まれていた。このアジェンダが守れない場合、開催都市として立候補は行えない<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20191102015213/https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191031/dom1910310002-n2.html|title = 最悪の場合「東京開催」剥奪も!? 小池都知事、五輪マラソン問題でIOCと徹底抗戦も…識者「都がいつまでも不満述べるなら…」 |publisher = www.zakzak.co.jp |date = |accessdate = 2019-11-02}}</ref>。
 
==顕彰==
*1977年:西ドイツ年間最優秀チームに選出(フルーレ団体・西ドイツ代表の一員として)
*1981年:[[ドイツ連邦共和国功労勲章|ドイツ連邦共和国功労十字小綬章]]
*1984年:バーデン=ヴュルテンベルク州功労勲章
*1993年:ドイツ連邦共和国功労十字勲章・一等
*2004年:ドイツ連邦共和国功労大十字勲章
*2008年:タウバービショーフスハイム市名誉市民
*2013年:ドイツ・オリンピック・スポーツ連盟(DOSB)名誉会長
*2013年:IOC「金の鍵」
*2014年:[[ヨーロッパオリンピック委員会|ヨーロッパ・オリンピック委員会]](EOC)功労勲章
*2015年:[[モントリオール市]]名誉市民
*2015年:ラインホルト・マイヤー・メダル
*2016年10月20日:筑波大学名誉博士。
*2018年:サインズ・アウォード(SignsAward)
*2018年:[[ソウル市]]名誉市民<ref>[http://english.seoul.go.kr/community/honorary-citizens/honorary-citizens-introduction/]{{リンク切れ|date=2020-4-5}} </ref>
 
==その他==
オリンピックの聖火ランナーを4度務めている。大会と場所はそれぞれ、2004年、[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]、ベルリン。2008年、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]、北京。2010年、[[2010年バンクーバーオリンピック|バンクーバー冬季オリンピック]]、バンクーバー。2012年、[[2012年ロンドンオリンピック|ロンドンオリンピック]]、ロンドン。2010年、[[シンガポール]]で開かれた[[2010年シンガポールユースオリンピック|第1回夏季ユースオリンピック大会]]ではベルリンで聖火ランナーを務めた。
 
作曲家の[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]と同姓であるが、直接の血縁関係はない。「バッハ」はもともとドイツ語で小川を意味する言葉であり、ドイツでは比較的多い姓である。
 
==動画==
*「トーマス・バッハ:新たなロード・オブ・ザ・リング?、"スポーツの内側"と"ストーリー"」(ケルン西ドイツ放送局<WDF>の補助金による動画)<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=e5qYOYbUqSU Video: Thomas Bach – Der neue Herr der Ringe?] auf YouTube</ref> [Hajo Seppelt & Robert Kempe: Thomas Bach – Der neue Herr der Ringe?, "Sport inside" und "Die story" (mit Unterstützung des investigativen Ressorts des WDR)]
 
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Thomas Bach}}
* {{IOC profile}}
*[http://www.spiegel.de/thema/thomas_bach/ Artikel Dossier] sowie [http://www.spiegel.de/video/suche/tag/Thomas+Bach.html Video Dossier] des [[デア・シュピーゲル|Spiegel]] zu Thomas Bach
* {{Olympedia}}
* {{DNB-Portal|122548515}}
 
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{{Succession box
| title = {{Flagicon|IOC}} [[国際オリンピック委員会#歴代会長|国際オリンピック委員会会長]]
| years = 第9代:2013年 -
| before = {{flagicon|BEL}} [[ジャック・ロゲ]]
| after = 現職
}}
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{{国際オリンピック委員会会長}}
 
{{Normdaten}}
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[[Category:ドイツのフェンシング選手]]
[[Category:男子フェンシング選手]]
[[Category:西ドイツのオリンピック選手]]
[[Category:西ドイツのオリンピック金メダリスト]]
[[Category:国際オリンピック委員会委員]]
[[Category:ジルバーネス・ロールベアブラット受賞者]]
[[Category:ヴュルツブルク出身の人物]]
[[Category:1953年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:スポーツ選手出身の政治家]]
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