「ハイウェイ・スター (曲)」の版間の差分

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ロジャー・グローバーによれば、[[1971年]]にディープ・パープルが[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]へ向かうバスの中で、ブラックモアがアコースティック・ギターでGのコードをおさえ、イアン・ギランが即興で歌詞を付けて、この曲が生まれたという<ref>[http://www.stevemorse.com/interviews/200310guitarmagazine.html Roger Glover Interview] at stevemorse.com</ref>。[[1972年]]にリリースされたアルバムLP『[[マシン・ヘッド]]』の収録中、フランク・ザッパとパープルが共演したヨーロッパのライブでの放火事件(詳細は『[[マシン・ヘッド#アクシデント]]』参照)の被害にあったことで、安ホテルへと移動せざるをえない状況となったメンバーが、[[ローリング・ストーンズ]]の[[モービル・ユニット]]を借りて録音したという逸話も残っている。
 
「[[スモーク・オン・ザ・ウォーター]]」「[[紫の炎 (曲)|紫の炎]]」「[[ブラック・ナイト]]」などと並ぶ、ディープ・パープルの代表曲となり、ライヴではオープニング・ナンバーに、第三期には[[アンコール]]でよく披露された。✌️
 
==詳細==