「横井小楠」の版間の差分

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*[[徳富一敬]]
**「身の丈は五尺に足らぬ小男であったが、顔大きく、色黒く、真黒い一の字眉きりりと釣り上がり、眼中きらきら光り、頬骨高く秀でて、口の大きい、活々した風采の人で、眼明手快、非常にすばしこい人であった」<ref>『青山白雲』P50</ref>
**「先生は余程陽気な質で、先生の話声は始終門外に聞こえ、先生が来らるると一座急に賑やかになった。随分癇癪は激しい方であった。併し赫として怒らるると火の出る様であったが、過ぎるとあとは誠にサッぱりして、夕立あがりの様に涼しく叱られても一向苦にならぬ。どんなに敵対する者でも。折れて来ればさっぱりとして腹蔵なく、如何に厳責した者でも改むると先生の喜びは限りなく、行雲流水まことにさらさらとした大快活の人であった。門人を教養するにも、規則がましい事一切なく、おのおのその人々によりて開発の道を授け、楽しんで進む様にせられる。そこで先生の薫陶を受くる者は、欣々然として化すると云う風で、師弟の分ははっきりして居ても至って心易く、碁なんどうっては、互いに相手の手を握って先後を争うと云う風であった」<ref>『青山白雲』P54</ref>
**「その風采容貌を申しますと、丈けは十人並より少し低い方で、顔は少し長面で、眉がきりきりと釣り上り、眼光鋭く、英気五[[尺]]の短身に溢るるばかりでありました。右の通り活発でありましたので、少壮の時分は、少しは荒い事もありましたそうです。その資質は聡敏正直、思慮周密、また忠孝節義の事実話を聞きましては、落涙に堪えざるていの人でありました。弁舌なども非常に爽快なもので、故[[木戸孝允]]氏なども評して、横井の舌剣と申した位で、誰でも横井に対すると、話が了然と腹に落ちました。また智術策略ていのことは至って嫌いで、それにまた抱負も中々大きな男でありましたが、一方にはまた中々精細に情愛の濃やかな人で、その老婆の病気の時などは、自身両便の世話から、手足の撫でさすりまでするというような塩梅で、兄時明の看病、兄の子供に対する情愛は、傍らから涙の出つる程でありました。書生の教育なども、決して規則ではならぬならぬと言って、常に人々の性質につれて、自然にこれを誘導する様に致し、ただ利害の考えや、へつらいなどは激しく督責しました」<ref>『逸話文庫 通俗教育 志士の巻』</ref>