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Firt mana (会話 | 投稿記録)
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Firt mana (会話 | 投稿記録)
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:・この頃のFirtmanaは人生における孤独と忘却を愉しみとしていた。
:・映画「[[おくりびと]]」を鑑賞したことをきっかけに小説の制作を始める。<ref>この小説は現在も執筆、推敲が続いており、度重なる改訂、再執筆が行われている。既に構想を練るのに3年が経過している。</ref>
:・この頃から映画をよく鑑賞するようになる。家族や哲学、人生を題材とした映画を好み、特に[[是枝裕和]]監督の映画の何度も見返していた。<ref>私が視聴する映画には基本樹木希林が出演している。なぜだろう。</ref>
:・「[[失踪日記]]」や「[[完全失踪マニュアル]]」を愛読し失踪について研究する。
:・美術の授業で自画像をく単元に参加した際、自分が[[縊死]]している絵を描く。地域の美術展覧会に提出する際の校内審査で問題作となり出展は取り下げられた。Firtmanaは[[表現の自由]]が規制されていることを訴えたが誰も彼の話を聞こうとしなかった。
 
{{quotation|みんなして俺の絵が良くない良くないって言ってきて。それでダメって意見を言うだけならいいけど規制までしてさ、俺の作品がより多くの人に見てもらえる機会がなくなったらダメというか…。俺は自分の表現したいこととか描きたいこと描くのが自分の芸術だと思ってるし、たくさんの人が自分の芸術性とか在り方を持っていてその中で作品が完結すれば良いわけで他人に必ずこうしろああしろとか、型にはまる考え方にするべきではないと思う、個人的にね。ただ価値観の押し付け合いはあってしょうがないことだけど。うーん。難しいところではあるけどね。まあどうせ俺は子どもだから舐められて当然だし、そうそう作品を深読みしてくれる人なんていないよ。だから結局のところ仕方ないことだね。}}
 
:・[[M.U.G.E.N]]の二次創作に触発されて墓の絵を描き始める。<ref>神聖意志10pによる影響である。</ref>同じく墓のジオラマの製作も始める。
 
'''Mとの別れ'''
Firtmanaは中学2年の時、「自由な生き方」を追求
 
 
== 将来の夢 ==
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== 活動内容 ==
=== 非公式の研究学会の立ち上げ ===
中学3年生の時、国語の学習の一環として自分たちで国語的分野に関するプレゼンテーションを行う際に、Firtmanaと他に友人2名で「国語テスト討究学会」と称してグループをつくる。学会では独自にテストを制作しプレゼンで発表した。結果は大成功に終わり、高い評価を受けた。
その後、グループは活動停止したものの2ヶ月後に新たに「JLGR意匠研究学会」(J意研)として活動が再開。学会の前身となる「国語テスト討究学会」に所属していた学芸員が一人脱退し、入れ替わりという形で新たに一名が歓迎されることとなった。
 
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| 第四回 || [[1Q84]] || [[友罪]] || enegy flow
|}
 
高校で「哲学部」を立ち上げる際にJ意研は事実上解散した。その後Firtmanaのみで構成されるJ意研の資料データベース「JLGR-Model研究所」が同時に結成された。
J意研の傘下にあった青春殺伐団、窓の哲学会も解体された。そこでのデータベースも「JLGR-model研究所」に併合された。
 
== 脚注 ==